西野亮廣

2020年7月 7日 (火)

白の6月から青の7月へ

月が変わって、もう一週間。
6月最終日に、アメブロの方にはアップしてたので、こちらでは、もうちょっと早く出したかったんですが…
タイムラグがデカすぎるので、もういっか…とも思いつつ、でも、やっぱり書いておこうと思ってのブログ上げです。

6月は、季節通り・例年通りにクチナシの白い花が咲き乱れてました。
今年は去年よりも賑やかやったような気もしないではありません。

通勤路にクチナシの生垣が長〜く続いてます。

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いつもながら思うのは、クチナシって個性的で、一つとして同じ花が無いように思うんですね。

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あの独特の甘い香りが、通り過ぎる背中を追いかけてくるようで。
そうこうしてると、ビリー・ホリディのあの哀愁に満ちた声が聴こえてくるようで。

1915年生まれなので、生誕105年になるんですね。
禁酒法時代のニューヨーク・ハーレムで、あちこちのクラブに出入りしつつ歌うようになって、それなりの人気も。
デューク・エリントンとの共演、カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、レスター・ヤング等々との競演も盛況。
白人オーケストラと初めて仕事を共にした黒人女性でもあって、その意味でも、当時のアメリカでは相当、驚嘆の出来事・事件ともなってます。

そこまで売れてて人気を博してても、黒人への人種差別は薄まることさえなかった激越な時代。
特に南部では、ジム・クロウ法(ご存知ですか?)が敷かれていたこともあって、仕事仲間と共にホテルに泊まることも、レストランに入ることも不可。
ましてや、黒人ということで、ステージにも立てずで、「ビリー・ホリィ」という名前の看板はあっても、自分が歌うはずの歌を、白人歌手が舞台で歌うという始末。
ビリー当人は、中に入れないわけで、表で項垂れているというのが日常の日々。

そんなビリーがその季節になると、真っ白のクチナシの花を髪に飾って歌ってたのは、幾重にも重なる人種差別への積もりに積もったいろんな思いの一つの抵抗だったのかもしれないです。

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ビリーのポストカード。

先日、部屋の片付けをしてて見つけました。
どこで買ったのがの記憶がないんですが…
多分、東京・恵比寿であったキャパ展を観に行ったときに買ったのかも?
こんな感じで、クチナシの花を付けてたんです。

ビリーのあの哀愁に満ちた歌声が好きで、今でもよく聴いてます。
アルバム「Lady Day」は何百回となく聴きました。

1959年7月17日没。44歳。
彼女の遺体は、病院の廊下にストレッチャーに乗せられてまま、しばらく放置されていたそうです。

公民権法が制定されたのは、彼女の死後で1964年。
あれから56年?
それでも、人種差別はなくなりません。

 

さて、6月が終わって青の月7月。

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今日は七夕。
にもかかわらず、九州の大雨による被害がひどいことになっています。
これ以上、被害が大きくならないこと、一人でも被災者が増えないことを祈ってます。

被災者支援のためのクラファン等々もあります。
自分もキングコングの西野亮廣さんが立ち上げられたシルクハットの方で、ささやかながら支援をさせていただきました。
こちらの期限は、本日23:59までとなっています。

青の月が、名実ともに晴れやかに青々とした日々になることを胸に抱きつつ。

 

 

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