『徒然草』第150段
去年の8月に久しぶりに読んだまま、つい先日まで読み返すことが無かった『徒然草』第150段。
習い事や学び事をしている人にとっては、痛いことが書かれてます。
今月、これを思い出すことがあって、また読んでおかないとあかんな〜と思いつつ、今日まで延ばし延ばしになってました。
《原文》
能(のう)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
いまだ堅固(けんご)かたほなるより、上手(じょうず)の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性、そ骨(こつ)なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜(たしな)まざるよりは、終(つい)に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞えもあり、無下(むげ)の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟(おきて)正しく、これを重くして放埓(ほうらつ)せざれば、世の博士にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道かはるべからず。
《口語訳》
芸能を身につけようとする人は、「良くできないような時期には、なまじっか人に知られまい。内々で、よく習得してから、人前に出て行くようなことこそ、誠に奥ゆかしいことだろう」と、いつも言うようであるが、このように言う人は、一芸も習得することが出来ない。
まだまったくの未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽古に励む人は、生まれついてその天分がなくても、稽古の道にとどこおおらず、勝手気ままにしないで、年月を過ごせば、芸は達者であっても芸道に励まない人よりは、最後には上手と言われる芸位に達して、人望も十分にそなわり、人に認められて、比類のない名声を得ることである。
世に第一流といわれる一芸の達人といっても、初めは下手だという噂もあり、ひどい欠点もあったものである。けれども、その人が、芸道の規律を正しく守り、これを重視して、気ままにふるまうことがなければ、一世の模範となり、万人の師匠となることは、どの道でも、かわりのあるはずがない。
これを最初に知ったのは、敬愛する芥川賞作家にして日本の文学界の重鎮でもある宮本輝先生の『約束の冬』っていう小説の中。
ちなみに、めちゃくちゃ良い小説です^^
超お勧めです。
ぜひ、読んでほしいな〜って思える2冊です(上下巻なのです)。
カリグラフィーに限らず、物事を学んだり習ったりする中で、押さえておいた方がいい、その向き合い方・姿勢が、シンプルに明快に書かれてある文章だと思います。
人間ですからね。
どうしても、恥ずかしい思いはしたくないし、他人様に笑われるなんてことは避けたいもの。
ついつい「うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ」になってしまうな〜
そこはやっぱり簡単ではないですが、でも、まずは一段だけでもステップを上げていこうと思ったら、自分のペースでいいから、取り組む姿勢をほんの少しだけ、この名文に倣って変えてみると、確実に見える景色も変わってくると思うんです。
変わった景色を一回見たら、病みつきになるかも?笑笑
コツコツやっていくのは、もちろんヘビーですが…^^;
そういうわけで、2022年は、この『徒然草』第150段を今再びのベースにして、カリグラフィーも切り絵もやっていこうと思っています。
どうせやるなら…です^^
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