読書

2026年2月 3日 (火)

1月の振り返りと「Rumi」の言葉から

1月も往き、2月が始まっています。

デジタルデトックスのことをちょこちょこ書いてますが、やっぱり恐るべしですね。

ブログは都合4つ(一つは休止中)持ってますが、ここのココログが14回、アメブロさんのところで15回の投稿を先月やってました。
これ、デジタルデトックスしてなかったら、絶対ありえないことです。(^◇^;)

いつもなら、月に1〜3つくらいが通常でしたからね。笑

まあ、その時々での忙しさもありますので、この先については状況次第ってことはありますが。
とりあえず、今月はかなりハードなので、少しは控えめになるかも?
それでも、10回くらいは投稿できるかと思います。

それから本読み。
2026年の最初の1ヶ月は7冊読了でした。
時間があったからってわけではなくて。
読書タイムについては、じっくり時間を取って読むのはなかなか難しいのは以前と変わりません。
ただ、隙間時間(特に電車の待ち時間+乗車時間)をできるだけフルに使って読むようにしてきた1ヶ月で、それのおかげも大いにあるかと。

2月も同じくらい読めればいいんですが。

このひと月で「これは読んでおいてよかった」ってのは2つ。(といっても、読んだもの全部よかったです。特にってことで)

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小保方さんについては、前回にちょっとだけ書いておきました。

この1冊を綴るのは、生半可の苦しさやなかったやろなって。

一箇所だけ付箋をしたところがあります。

「みんなで決めた悪には、どんな酷いことを言ってもやっても許される社会の残酷さ。
 尊敬していた著名な研究者たちからのマスコミを通じて伝えられる糾弾、それに乗じた有象無象の辛辣なコメントは、体のあらゆる感覚を奪っていった」

この本の一番重きになるところかな。
日本中からのバッシングの中、研究者の道を「閉ざされて」しまった、言い換えれば「未来を容赦なく潰されてしまった」小保方さんではありますが、それでも、今もどこかで生き続けておられることに最大の敬意を表したいです。

 

そしてもう一冊は…

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これはもう絶対に読んでもらいたいなって思う一冊。
特にこれからの時代(次代)を創りゆく若い人たちに。

検索すれば、かなりいろんな情報が出てくるので、ここでボキャの少ない工藤が書くより、気になる方はそちらを参考にしていただいた方がずっといいかと思います。
是非。
YouTubeでもこの本に関しての動画はかなりあります。

 

さて、今月初のカリ🖊️

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Rumiの言葉からセレクトです。

「他人の物語に満足するな。
 あなた自身の神話を広げなさい」

Rumiって、随分前からですが、なんかあんまり好きなれなくて。^^;
でも、なんかたま〜にグッとくる一文に出会ったりするんですね。
にもかかわらずですが、カリで書いてみようとかって思うことはなく。

なわけで、これは初Rumi。

まあ、ほんとごめんなさい状態なんですが、今回はめっちゃグッときたので書いてみました。
ただ、そんな自分の心理があるからか、失敗ばっかりしてまして、これはやっと5回目です。

イタリック体
水性インク(ざっくり、笑)
C4
で、いつものコピー用紙

元はカード書きにしたかったんです。
が、失敗ばっかりしてしまったのでコピー用紙に落ち着いた次第です。

今回、遊んだところは、2行目の2つの「g」なのですが、この2つの文字だけ、アセンダー部分をベーシックより少し長めにしてみました。

どういうことになるのかっていうと、本来なら…ここでいうと、2行目と3行目ってどんなに近くてもある程度の上下のスペースが必要。(他の部分を見てもらえればわかるかと)

でも、「g」の最下部のところと3行目のアッパー部分がめっちゃ近くなっているわけです。(敢えて近づけたのです)

基本的なところでいうと、それは「あかんやつ」になります。

でも、長めにして下の行の近い文字の天井とここの部分の「近すぎる」ビジュアルで「ん?」って思わせるようにしてますってこと。
なぜそうしたかっていうと、この2つの「g」が「have」を挟んでちょうどいい按配の位置にあるんですが、全体のレイアウトでいうと、真ん中の行でもあるし、遊ぶには位置的なバランスもよかったからで。

多分、「お前、何云うとるん???」って思われていると思いますが、まあ、「遊び」なので。笑

「遊び」もないとおもしろくないですから^^
そういうのって自己満足でもいいのです。爆

 

さて2月。
2月は「逃げる」ですね。
工藤的には「追い回したる!」と思っております。

寒い日々はまだ少し続きそうです。
あったかくしておいてください^^

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2025年9月30日 (火)

今月は12冊!

何度か書いてきたことですが、今年は本を70冊読むぞ!と決めたものの、会社の引越しで2〜4月の3ヶ月は月に1冊しか読めてませんでした。

これが、かなり悔しくて、5月は巻き返しで9冊。
6〜8月は平均5冊。

それでも目標は遠い・・・^^;

なので、この9月は、隙間時間をフルに徹底的に使う!と決めて読んできました。
まとまった時間て絶対に取れないので、ただただ隙間時間を活用するしかありません。
でも、その決意?のお陰で今月は、終わってみたら12冊読めてました。
これもまた工藤の「やったらできる」シリーズです。笑

数字がどうのこうのではないんですが、目の前に何しか読みたいと思って積み上げた本が4〜50冊ほどあるので、この山も早く崩してしまいたいっていう思いもあります。(目的がよくわからない。笑)

「本が読まれなくなって…」と云われ出して久しいですよね。
一年に1冊も読まない学生さんもかなりいるくらいですから、活字離れが甚だしくて、今後のこの国の行く末も心配になってきます。

何より、ちょっと長い文章が最後まで読めない。
何より、日本語がじわじわと変容してきてしまっているのは、体感でも感じる今日この頃。

一抹の不安ですみそうもないなと、今の世相を掛け合わせても感じ入ってしまいます。

本ていいよ^^

人間はロゴスの生き物なんやから。

 

今月ラストに読んだのが、『対訳 ディキンソン詩集』でした。もう何回目なのかは忘れましたが再読です。

エミリー・ディキンソン。
アメリカの詩人の女性代表と云ってもいい方。

ちなみに男性代表といえば、ウォルト・ホイットマン^^

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そのエミリー・ディキンソンの詩で有名なのが・・・

 

If I can stop one heart from breaking
I shall not live in vain ;
If I can ease one life the aching
Or cool one pain,
Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in pain.

もし私が一人の心の傷を癒すことができるなら
私の人生は無駄ではない
もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ
苦痛をさますことができるなら
弱った一羽のコマドリを
もういちど巣に戻してあげられるなら
私の人生は無駄ではない

 

ディキンソンの詩集の大部のものが欲しいんですが、まあ、難しいですね。
デジ本(英語版全詩集)はスマホに落としているので読めるんですが、解説が欲しい…^^;
そういう意味では、↑ の岩波文庫のは、とてもわかりやすかったです。

そんなこんなで、この1ヶ月は読書だけではなくて、何かと燃焼できたと思います。
燻り残りが少ない、自分としては珍しい1ヶ月であったかと。

来月も、また燃え尽きるまでワクワクしながら頑張るべ🎶

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2025年9月29日 (月)

矢野暢著『衆愚の時代』・・・2

前回からの続きになります。

「世の中には、巧まずして人びとを感動に導く真実のドラマがありうる。そして、そのようなドラマは、人びとが全力を尽くして自分の使命をまっとうするという、いわば、ごく単純な心掛けから生まれるのである。逆に、人びとが自分の使命との素朴な取り組みを忘れたとき、この世の中からは、、感動を誘うドラマは消えてしまうことになる。」

↑ これは引用のみにしておきます^^

「正義というものは、誠実に生きる一人の人間のインテグリティに宿るのである。複数の正義の問題点は、そのことに目を閉ざすところにある。」

10人いたら「10人の正義」があるってこともいいますが、この国の場合、「同調圧力からの”多数”の正義」が跋扈したりするので、これはこれで手に負えないところでもあるかなって思います。

「誠実に生きる」ってこと自体も、今の時代、そのこと自体が堅苦しいってトーンで解釈されてしまって、そこから生み出されていく真摯な言動なんて、まさに目を閉ざされていってしまう。

そんな時、「一人の正義」なんて、徐にただただ叩かれ、潰され、黙らされてしまうことがあって、それがどれほどその「一人」を苦しい思いに突き落としてしまうことか…
そこにある「一人の正義」の生の声なんて、聴き入れる世界自体が貧弱になってしまっているし、その空気感も日々月々年々に増幅されてしまっているように感じます。

ついつい数年前からのこの国の光景は、まさにこの状況のまま。

それを「言い得て妙」に表現しているのが・・・

「現代の悲劇は、人びとが、多数の声であればあるほど正義や真理に近いという錯覚を持つところにある。多数の声が正しいことを語るときもあろうが、一人の声だけが正しくて、ほかの声がことごとくまちがっているということもありうるのだ。とにかく、少数者の道理が通らなくなりがちなところに、私は時代の精神の堕落をみる思いである。」

コロ助茶番で声をあげながらも…というより、声をあげたが故に酷い目に遭ってきた人たちが感じてきたことも、多分、↑ に近いことではないかと思ってしまいます。

いくら声を上げても、聴き入れてくれる人がほとんどいないわけですから。
家族でさえ、親族でさえ。
ましてや会社の同僚たちにしても同様。

システム的に創り上げられたものの力で、ネットの世界にしても蹂躙されてきてしまっているし、これからは情報一つにしても、それが正なのか邪なのかを国家が決めていくことになってしまっています。

情報は、権力が正邪をどうこうするものではなくて、いわゆる一般ピープルが自分の頭で考えて取捨選択していくべきもののはず。
国家が介入するということは、国家にとって都合の悪いことがそのまま「邪」とされてしまってこと。
この辺りのことを知る人は、まだまだ少ないわけで、そこにある種の絶望は感じざるを得ないですね。

「最近、ヒューマニズムが妙に観念的になり、理屈っぽくなり過ぎているように思う。ほんとうのヒューマニズムというのは、無心の行動主義であるはずなのだ。困っている人があれば、自分を犠牲にして救いの手をさしのべる、ただそれだけのことなのである。」

まあ、とにかく、この本の「終章」は、まさに「今現在」のこの国の状況にドンピシャです。

そうなることをまさか「予言」して書かれたものではないのはわかってはいますが、それでも、当時から結局のところ、その「種」はしっかり植え付けられて密かに育てられてきていたってことなんでしょう。

誰に? 笑     
そして、いつから? 笑笑

まあ、書き方としては脈絡が連鎖しにくいですが、だからこそ、自分は自分で感じた「違和感」に拘って、「徹して調べてみる」姿勢を、2020年の後半からとってきました。
その選択は間違ってなかったなって思っています。

 

「危機」というものが実は無いのに、「危機だ! 危機だ!」と「危機」を煽って、そこに「危機なるもの」を作り出すことで、その那辺に「危機管理」を紡ぎ出す「権力」っていう、これ、確か、岡庭昇さんの論理だったような。

なんにしても、「危機」を煽れば、そこに「恐怖」が芽生えるわけで、その「恐怖」を利用しない手はないんですよね、権力にとっては。
何のために?笑

「恐怖」はかなり使い勝手がいいのだと思います。

でも、その「恐怖」は、「神性」と「知性」を求める精神性があれば、実はクリアできるものと思うわけです。

「なにはともあれ、『神々』の不条理な渇きにたいして、私たちは醒めた目を向け続けなくてはならないのである。『神々』の陣営にその一員として身を投ずることは、いとも簡単なことである。なぜなら、いまどきの『神々』は、俗性と反知性主義とを栄養素とする、いわばほんとうの神性にとぼしい俗人集団だからである。それでいて、ふしぎなぐあいに正当性をもっているから厄介である。」

この本が書かれた時代と「今現在」は30数年も差がありますが、矢野教授の示された「神々の渇き」自体のベクトルは、ほぼほぼ重なっています。

この著作の最後の言葉が・・・

「私としては、複数の不特定多数の集団の正義より、自分一人の信念で生きようとする個の論理の正当性を信じたいと思う。『神々』が不都合だというつもりはないが、一人ひとりの個性の尊厳を顧みないところに、正義もなにも成立するはずはないのではないだろうか。」

ま、そういうことなんでしょうね。

賢くないですので深掘りはできませんが、それでもやっぱり、「知性」とか「知力」とかっていうものは、しっかり自分の中に育てていかないと、この先のやばい時代に、ただただ翻弄されてしまうだけだと思うわけです。

 

てことで、今月は11冊読めました!!!
あと1冊読めたらな〜と思ってます^^

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2025年9月26日 (金)

矢野暢著『衆愚の時代』・・・1

昨日というか、日付が変わってたので今日ですが、全然寝れなくて(^^;;

布団入りしてから目が冴えまくってたので、寝れない時のいつものように「animal rescue」をFacebookで観てました。
そのうち眠くなるやろうと思ってたんですが、全く・・・笑

結局3時くらいに寝るのを諦めて、そこから1時間半ほど読書をしてました。

今日は起きたのは9時です。休みでよかったです。^^;

 

さて…
今のこの国の世相のことを考えてて、この本のことちらっと思い出したのがいつやったのか忘れてしまったんですが、多分1月くらい?かな?
思い出しただけではなくて、また改めて読んでみたくなったので、すぐに検索してAmazonで購入。
届いてから結構放置してたんですが、9月に入ってから読む気になって、先日読了。

最初に読んだのは、この本が出てすぐくらいやったと記憶しているので、多分、1990年です。
もう35年も前なんですね。怖いな・・・(^◇^;)

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今回は忘備録として、ちょっと quote しておこうかと思います。

内容的には、今となっては情報自体が古くはなってきているのですが、矢野教授の文章はやっぱり読みやすくてわかりやすいなって、あらためて感じました。

いろいろあって、「不遇」のうちに亡くなられてしまいましたが、その件についてはここでは触れません。

アナトール・フランスの『神々は乾く』から敷衍しつつ、ニクソン辞任(これはもう、この本に書かれていることとは別格の事情によることは知っている人は知っている。以下、同様)、天安門事件、ベトナム戦争、アキノ大統領、アウン・サン・スー・チー女史等々のことが描かれています。

スー・チー女史の軟禁事件の時は、アムネスティー主催の釈放要求署名運動に携わったことがあります。

結構集めました。100数十名やったかな。

そのスー・チー女史については、まあ・・・です。^^; 今はね。
世間で云われていること(テレビで報道されていること)と実態は違うんだってことですよ。
才媛ではありますが。

それはそれとして、話を戻して矢野教授の秀逸な引用を少し。

★エリック・ホッファー★

「権力は腐敗すると、よくいわれてきた。
しかし、弱さもまた腐敗するということを知ることはだいじである。
憎悪、敵意、粗暴、不寛容、猜疑は弱さの所産である。
弱者のさかうらみは、かれらに加えられた不正から生まれるのではない。
むしろ、人間の無力感と無気力から生まれるのである」
(下線はブログ主。以下、同様)

★エリー・ヴィーゼル★

「広島を忘れてはいけないんだよ。
人間は、忘却と許しとでは、安易なほうに流れがちだ。
忘却の方が安易なのだ」

★司馬遼太郎★(司馬遼も、自分は「う〜ん・・・^^;」なんですが、それはそれとして)

「日本人がもつ、どうにもならなぬ特性のひとつは時流に対する過敏さということであるらしい。
過敏なだけではない。
それが時流だと感ずるや、なにが正義か、なにが美かなどの思考はすべて停止し、ひとのゆく方角にむかってなりふりかまわずに駆けだしてしまう。
この軽薄な、というより軽薄へのすさまじいエネルギーが日本の歴史を作り、こんにちを動かしていると考えられなくはない」

「この国の社会は日常、ブームでみちている。
あらゆるものがブームである。
……週刊誌の編集部も、ブームのたねがきれると、思わぬヒッソリ閑とした事象を掘りだしてホコリをはらい、いまはこれがブームですとさわぐ。
それが日本である」

「われわれは相当な奇国に住んでいることだけはたしかである」

なんか、2020年から今日までの光景を目に浮かびます。
次のパンデミというか、プランデミでも、きっとまた同じことを繰り返すんでしょう。

アクトン卿の有名な言葉に…

「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」

ってのがありますが、こちらの矢野教授の言葉は、フィリピンのマルコス政権が崩壊していく様をベースに、そこからの流れをわかりやすく綴られています。

「権力の腐敗は、必ずその権力の周辺に”愚”を培養する。
その”愚”は、さまざまな愚行となってあらわれ、まわりまわって権力の正当性を損ねていくのである。
そして、やがて、その権力は、自らが培養した”愚”のために滅んでいく」

全部で十章からなるこの書籍。
多分、初読みの時もそうやったと思うんですが、終章が一番、自分には響きます。

この「終章」、4項から成ってまして、第1項のところに、上記に引用の司馬遼太郎さんの言葉が引用されてました。

なので、以下、第2項から引っ張ります。

第2項は「反知性主義の横行」

所謂「かたい本」離れからくる硬派出版社の低迷、そしてマスコミの権力化した姿勢。純文学も読まれなくなっている…等々と言及されていますが、この流れって、ずっと続いて、さらに今もって現在進行形ですよね。

ほんとに本が読まれない時代になってしまいました。

自分なんかは文学が好きやし、かたい系の本も好きなので、フォロー中のブログで本が紹介されてたりすると、すぐにAmazonへ走ります。
たまに書いすぎてしまうこともありますが、先月みたいに・・・

 

矢野教授は綴ります。

「『反知性主義』という、いやな言葉が頭をかすめて消える。知性に価値を認めず、むしろ人間の欲望や感覚におぼれ、流れていくのを許す風潮、つまり『反知性主義』と、日本人は久しく無縁であった。日本をここまで導いてきたものはある種の知性主義であって、『反知性主義』的な傾向は、たとえ芽生えたとしても、社会の空気によって未熟につみとられたのである。

しかし、日本の全体が変わってしまった。日本人が皮膚感覚だけで生きるようになったというべきか、抵抗感のない雰囲気が社会を満たしてしまっている。知性との緊張、倫理との緊張などまるでなくなってしまった。古き良き日本は、もう消えていっているのである。

まあ、昭和40年代くらいまでがギリギリ「知性」で成り立っていたのかも知れないですね。

続いて・・・

「世の中が『反知性主義』に流れたとき、人びとは、実は未来を失うことになる。うたかたのあぶくのようなざれ事だけが世を満たし、それをもてあそびながら、日々気楽に生きていくとき、人々は充実したいまはもてるだろうけれども、未来を持てなくなっているのだ。いまの日本人は、そこのところにまるで気がついていない。」

「知性主義」なるものがまだまだ世に介在してた頃なら、あの2020年からのコロ助茶番も、今よりマシな流れで受け止められたんではないかな…と思ってしまいます。(甘いかな?)

「知性」というか「知」(=知ること、知識)があるなら、そこから「考える」っていうところへ多少なりとも波及効果はあるわけで、そうなれば、というか、そうなっていれば、いくら同調圧力の強い国といえ、ここまでの為体までにはなってなかったんでは?と考えるものです。(が、これも甘いかな?)

「ただ、悲しいことに、人間は、『現実』とはなにかを思い惑わないままに現実を知りたがる奇妙な願望をもっている。それは、ほとんど、本能的ともいえる願望である。それは、極端まで行くと、スキャンダル報道にむらがる、まったく空しい〈現実主義〉にまでいたってしまうのだ。」

これぞ、そのまま、この瞬間にも通じることだと。

スピンに振り回されていることを知らずにスピンに絡め取られて、大切な事実を観ること・見抜くこともなく、ましてや「考える」こともないというこの国の「現実」を目にするとき、少なからず自らに「違和感」を持てた者からするなら、「世の末」の予感が限りなく現実に近いことを感得するんではないかな。

で、その「違和感」を言語化して発するなら、今度は逆に同調ベースの「大違和感」という大きな流れから、弾き飛ばされてしまうという構図。
弾き飛ばされるだけならまだしも、異質扱いってとこまでいってしまう。
それって、もういわば「潮流」のような大きなものになっている感を受けてしまいます。

元からして日本人というのは、「長いものに巻かれる」式のベースがあるわけなので、「そこ」に違和感を持つのか、「そこから」違和感を持たれるのかってベクトルなのだと思います。

あ、それともう一つ。

自身が「知らないこと」を馬鹿にするってこと。
いやいや(^◇^;)
知らないなら、知らないで通せばいいものを、そうではなくて頭から馬鹿にしてしまうってどうよ?って思うんですよ。
「認識」なくして「評価」は不可なはず。
知らないなら調べればいい。これは自分のベースです。

とりま、今日はここまで。
この項、続きます。

愛想なしもなんなので(笑)、写メを一つ。

仕事帰りの花店駅前の夕焼けです。
きれいでした^^

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2025年6月 1日 (日)

ショック・ドクトリン

深くお世話になってきた方が亡くなり(訃報を知らせていただきました)、ほんとはそのことを綴りたいのですが、心ここに在らずという状況で、文章がまとまりません。
なので、後日に…ということにしておきました。
ただ、こういうところ(ある意味、公開ですから)に書いてもいいものかどうか、どこまで書けばいいのか、自分でもよくわかりません。
そんなことなので、実際に書くかどうかもわからないです。

ただただ、大兄のご冥福をお祈りし、心からの感謝の想いを表させていただきます。

 

さて・・・

5月は怒涛の如くに隙間時間をフルに活用して、久しぶりに9冊読み上げができました。
おもしろかったのは、さとうみつろうさんの『神さまとのおしゃべり』と『悪魔とのおしゃべり』。

『神さま〜』は2014年に発刊ということなので10年以上前の本。
これ、当時はすごいベストセラーになってたんですね。
全く知らなかったです。

その続編として出たのが『悪魔〜』なんですが、もちろん、こちらの本のことも知りませんでした。

たまたまYouTubeで観てた動画に著者のさとうみつろうさんが出演されてて、話される内容がビビってくるもので気になってたんですね。
その「気になった」トーンが3ヶ月以上も変わらなかったので、4月の末に検索して購入したのがこの2冊と『シュレジンガーの猫を正しく知ればこの宇宙はきみのもの』の上下巻。

ほんとは『シュレジンガー〜』を先にゲットしてました。
これ、安江邦夫さんとの対談なんですよ。
まだ読んでません。多分、今月には読めるかと思います。

書評みたいなものを書くのはめちゃくちゃ下手なので書きませんが、読んだことのない方とか知らない方(工藤みたいに・笑)には是非、読んでみてほしいな〜って思う本です。

そして…

5月に読んだ9冊のうち、これ、かなり大事やなって思ったのが、堤未果さんの「100分で名著シリーズ」の『ショック・ドクトリン』

ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』といえば超ロングセラーで、去年の秋くらい?に書店に行くと文庫版が平積みになってた時期がありました。
そう時、買うか買うまいか迷って、結局のところ、読む時間無さそうってことで買わなかったんです。
上下巻でそれぞれ470ページ越えの大著でもありますし。

でもね。
この堤美香さんの解説書みたいなこちらの1冊…

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これを読んで、原著も読んでおいた方がいいなってことに帰着しました。

↑ の『神さま〜』『悪魔〜』もおもしろいですが、ナオミ・クラインの原著はともかく、こちらの堤未果さんの方のはなんとしても読んでもらいたい1冊です。

わかりやすい文章で、しかもすぐに読めてしまいます。
まあ、100分では無理かとは思いますが、3時間もあれば。
しかも、600円やし。

何も知らないままに日常を過ごしている間に、世界は目まぐるしく変化していて(実際には変容させられてしまっていて)、しかも、その流れの構図は、庶民がどんどん息苦しくなっていくように設計されています。
まさに名実ともに「ソフト・キリング」(じわじわと殺していくってこと)。

そのカラクリの一つが「ショック・ドクトリン」です。

こういうこと、知らないままでいるのは罪やと思うんですよ。
気づいた時には完全に手遅れになっている按配です。

・疑問を持つ
・自分で調べる
・自分の頭で考える

これ、ほんと大事。

何か「違和感」を持ったら、そのままにしておかないで、何でもいいから調べていくことだと思います。
忙しいからとか、めんどくさいとかって理由で放置してしまうと、あとあと困るのは自分自身なので。

それと、世の中の9割以上は「洗脳」で成り立っているんです。多分、10割に近い「9割」。
当たり前と思われていることが、実は「洗脳」されてきたことだった…みたいなことが、そんじょそこらじゅうにあるんです。
自分の場合は、2000年から始まったコロ助茶番騒動で「違和感」にやっと気づいて、そこから何でも調べるようになって今に至るです。
その流れの中で、いかに自分が洗脳の渦の中を知らずに生きてきたのか(生かされてきたのか)ってことが少しずつですがわかってきました。

そういう意味では「茶番」に感謝ですね。

てことで、今日から6月。上半期最後の1ヶ月となります。
今月は何冊読めるのか。
時間との闘いになります。いろんな意味で。

もう、いつ何が起きてもおかしくないところまできてます。

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2025年5月27日 (火)

中之島バラ園…その2

ここ数日、肌寒いですね。
それだけに、今日もなかなか過ごしやすいです。

最近…ガンダム(一年戦争)にまたハマってまして、結局のところ、第一話からまた観てってます。
ガンダムの凄さって、まずはテレビアニメであること、そして43話っていう今では考えられない長丁場であったこと。
そして、何よりも原作・総監督・脚本の富野さんの徹底したこだわり、ここに尽きるのではと思ってます。

ファンの間では忘れられない名セリフも多々。
冷徹シャーに垣間見える人間臭さもおもしろい。
何よりアムロのメンタル的な成長も見どころであったりもします。

あらためて、全話、観てみようと思ってます。

 

で、話をテーマに戻して・・・笑

中之島バラ園の続きです。

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↑ このグラデーション、完璧です^^

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↑ 一重の可憐さ

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おまけで中之島公会堂を1枚。

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昨日は月曜日ってこともあってか、割と人が少なかったですね。
まあ、お天気も曇り空でしたし。

これから梅雨です。
さて…この先の天候はどうなっていく(どうされていく)んでしょうかね。

 

何回となく書いてきたことですが、2000年からの出来事で、この年の後半(7月くらいからかな)からいろいろと気付きやら違和感を覚えて、何くれとなく疑問を持って種々調べることに徹してきました。
それはそれでよかったんですが、そうなると、本を読む時間がなかなか取れなくなってしまい。。。
時間は有限ですからね。

今年は読むぞ!と決めてもう5ヶ月。
去年よりはマシなものの、まだまだ思うようには読めてません。
が、今月は隙間時間を使いまくって、今のところ6冊読了。(やったら出来るやん!笑)
いい感じです。
多分、最低でもあと1冊は読めるので、このペースを保持していきたいと思います。

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2025年3月 2日 (日)

ポール・エリュアール

とある本を読んでいると、大岡信氏の書籍からの引用が気になって、すぐにポチッとして購入。

まず、その元になった引用がこちら。

「日常用いているありふれた言葉が、その組み合わせ方や、発せられる時と場合によって、とつぜん凄い力をもった言葉に変貌する。
そこにこそ、「言葉の力」の変幻ただならぬ表れがあり、そこにこそ言葉というものを用いることの不思議さ、恐ろしささえあるということだ。なぜそういうことが生じるのだろうか。結局のところ、事柄は次の一点に帰着するだろう。
つまり、われわれが使っている言葉は氷山の一角だということである。氷山の海面下に沈んでいる部分はなにか。
それは、その言葉を発した人の心にほかならず、またその心が同じく言葉の海面下の部分で伝わり合う他人の心にほかならない。私たちが用いている言葉は、そういう深部をほんのちょっぴり覗かせる窓のようなものであって、私たちはそれをのぞきこみながら相手の奥まで理解しようとたえず務めているのである」

読んだ本には、↑ の引用が全部あったわけではなく半分くらいやったんですが、ついでなので関連部分として当該箇所を拡げて書かせていただきました。

この引用部分が気になってゲットしたのが、『詩・ことば・人間』という大岡信氏の著作で、実は大岡氏の本を読んだのは初めてということになります。

で、そのゲットした本の中に引用されていたのが・・・

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「年をとる
それはおのが青春を
歳月のなかで組織することだ」

という、フランスの詩人ポール・エリュアールの一節。

おもしろいもので、これをいくつかのSNSにポストしたんですが、facebookでカナダの方から、

C'est tellement vrai et on le comprends seulement en vieillisant!🥰

"growing old means organizing youth over the years"


と、コメントをいただきました。

意味的にはよく似たものです。

これ、一両日中にでも書ければと思います。(「書いてみるね〜」って返信しましたので。w)

あ、ちなみに、自分はポール・エリュアールのことは何も知りません。^_^;

 

本といえば、去年は全く読めなかった一年で、かなり悔しい気持ちでいてます。
20冊くらいだったと思います。
その分、確かに情報取りで活字自体は莫大な量を読んではいますが、やっぱり「本」とは違いますからね。

なので、今年は70冊を目標にして、隙間時間があったらすぐに本を開くようにしてきてます。
今のところ、新年明けてから6冊読了で、目標到達にはヤバイ感じですが、気合満々でページをめくってます。笑

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机の左側に積み上げてあるので約30冊。
この右側に同じく約30冊。その前に7冊。
とりあえず、これで今年の分?笑

頑張って読むべ🎶

 

 

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2023年12月17日 (日)

そして、シモーヌ・ヴェイユ

めずらしく、カリグラフィー自分書きの連チャンになります。

今回は、シモーヌ・ヴェイユの言葉から。
ほんとは、他に書きたい文章はあるのですが、ちょっとまわり道です^^

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「たとえ、歳月を重ねた奮闘努力が、少しも報われないと思えるときでも、いつの日か、その努力にちょうど見合うだけの光が、あなたの魂にみなぎるのです。」

↑ これくらいに云えるだけの努力をしないさいよ、工藤くん!と云われているような気がしてます。

自分、文字は全く大したことありませんが、レイアウトは好きで、こういう長い文章を書くときも一発書きでできてしまうのですが、これは2回も失策をしてしまいました(^^;;

まあ、久しぶりにちょっと長い文章やったので…なんて言い訳ができないこともないのですが、それを云っちゃーおしめえだよ(笑)ですもんね。
なんし、次に別のんを書くときは、大きく気合い入れて書いていきます。

・カッパープレート体
・ハント101
・朱墨
・コピー用紙

いつもコピー用紙で書いてます。
あ、でも、安いのんではなくて、コピー用紙にしてはお高いのを使うようにしてます。
やっぱり廉価版になるとインクが滲みやすいんです。
こういうことも、試しておくとプラスになるものです。

この文章、やたらと「f」が多く出てきます。
なので、練習書きをするにはいいかも。
特に、日本レタグラフィー協会のカパレタ認定講師の方々には、おすすめかもしれません。
(と云っても、レタグラさんでこのブログの読者って居てないでしょうけど…笑)

なんにしても、練習は、「ちょっとハードル高いかも?」って感じるものをセレクトして挑戦するのがいいのです。

インスタにアップしたものには書いておいたんですが、シモーヌ・ヴェイユって、かのトロツキーと激論を交わしたことがあるんですよね。
結構有名な話なんですが、哲学的天才でもある彼女にしてできることかもしれません。

シモーヌ・ヴェイユは早逝の人で、それがほんとに惜しいと感じていますが、実は彼女は書籍を残しておらず、いろんな断片やらメモやらの書き遺しを託された友人が、箴言集として出版したのがシモーヌ本の始まりなのだそうです。
(この辺りは、Wikiに書いてます)

自分は、7冊手元に持ってますが、なんしか難解な内容でして…
が、その中で、一番読みやすいのが、冨原眞弓さん編訳の『ヴェイユの言葉』(みすず書房)。
新装版が出ているみたいですが、工藤のは2003年に出版されたもの。

あちこちに付箋が貼り付けてありまして、その中から少し引用書きをしてみます。

・怠惰の誘惑(ずば抜けて強い)
  時間の流れのまえで怖気づくな。しようと決意したことを延期するな。

・わたしたちのうちなる悪が絶対的な善をおおい隠す。思考が悪との闘いにむかうかぎり、滅ぼした分量だけ悪はふたたび生い茂る。願望をこめて、悪をこえて、無限に隔たった善へと思考を方向づける。

・つまらぬことをおこなう者はみな光を憎む」(「ヨハネ」3・20)。悪ではない。つまらぬことである。些事にかかわりあう者は光を憎む。

・人間の魂と運命のかかわりにおいて、それぞれの魂がみずから固有の運命をどの程度まで形成するのか、仮借なき必然は転変する運命に翻弄される魂のなにを変質させるのか。、徳性と恩寵の効能はなにを無傷で守りうるのか、こうした主題似合って虚偽はたやすく、魅惑的である。傲慢、屈辱、憎悪、無関心、忘却や無知の願望、いっさいは虚偽への誘惑に貢献する。特に不幸の正確な表現ほど稀なものはない。不幸をえがくとき、おおむね失墜は不幸な人間の生まれながらの宿命であると信じる振りをするか、魂は不幸を担っていても不幸の刻印をうけずにすみ、不幸に固有のやりかたで思考を変質させられることもないと信じる振りをする。

・歴史とは下劣さと残虐さで織りなされた一枚の布であって、ところどころまばらにわずかな純粋さが輝きを与えているにすぎない。なぜかというと、第一に、人間達のあいだで純粋さは稀にしか散見されず、第二にその稀なる純粋さの大部分は隠されているからである。ゆえに、たとえ間接的な証言であっても探索せねばならない。

・社会問題を避けて通ることはできない。おのずから生じる第一の義務は嘘をつかないことだ。
 嘘の第一の形態は、抑圧の隠蔽つまり抑圧者への迎合である。この手の嘘はまっとうな人たちによくみうけられる。日ごろは善良で誠実な人たちなのだが、自分が嘘をついているとは思ってもいない。踏みつけられているほうはなにも感じず、踏まれているほうが痛感するというぐあいに人間はできている。抑圧された人びとの側に身をおき、かれらとともに感じずして、この嘘に気づくことはあるまい。
 嘘の第二の形態は、扇動(デマゴギー)である。
 右(上のこと)のふたつの過誤は重大である。
 まっとうな人たちもこれらの過誤をおかすとはいえ、さらにおぞましい特徴が加わることもある。たとえば第一の嘘でいうと、抑圧者に重ねる幇間がいる。いつの世でも、権力者は探せば流血をひきおこす者たちを誉めへつらって一生をすごす連中を探し出せる。ジャーナリストの十人中九人までが、抑圧者のために嘘をつく職務を嬉々としてひきうける。

ちょっと長いのとかもありますが、ここに引用したラストの分なんて、まさに今の日本そのものです。

シモーヌ・ヴェイユ。
いいきっかけになったので、このまま『ヴェイユの言葉』を再読しておこうと思います。 

 

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2023年12月10日 (日)

エマソンの言葉

自分書きカリ話題。
どれくらい久しぶりなのか・・・^^;

書いてみました。
1行ものですが。

2023120802

Ralph Waldo Emerson の結構有名な言葉になります。
エマソンならずとも、似たようなことを云われている方々はかなりおられますが。

”Fear always springs from ignorance."

「恐怖はいつだって無知から生まれる」

カッパープレート体〜基本書き
ハント101
開明朱墨液
紙はコピー用紙…(^◇^;)

2023120801

↑ こっちは下書き練習…っていうても、一回しか書いてませんけど。笑

「無知から恐怖が生まれる」ならば、学んで知ればいいだけのことだと、とりあえずは思う。
少しでも学べば、少しでも恐怖から遠ざかることができるんだとも。

この3年半というもの、この言葉そのものの世界やったように思います。
「恐怖」に苛まれれば、人間は固まってしまって思考停止になってしまうもので、そこからは周りを見ながら、周りに合わせて&意味もわからずに流されていくだけ。

だからこそ…
・疑問を持つ
・自分で調べる
・自分の頭で考える

これが絶対に大切だと思うんですよ。

でないと、ただ騙されて、いいようにされてしまうだけ。
今、自分の立ち位置が、実は引き換えしようのない崖っぷちにあるってことに気づいている人たちって、ほぼほぼ居てません。
ほんとに、何もかも終わってしまうよ。
来年はかなりひどい月日になりそうな感です。

ま、それはそれとして、エマソン。
エマソンといえば、アメリカン・ルネサンスの雄ですよね。
エマソン、ソロー、ホイットマン。
それからホーソンにメルヴィル。

特に前者の3人は、自分も大好きです。

エマソン『エマソン論文集』上下
ソロー『市民の反抗』
ホイットマン『草の葉』上中下

この3品は、できたら高校時代くらいに読んでたらよかったんやけどな〜と、今になって思ったりします。
ほんとは今年中に読み返したかったんですが、全く時間が取れずで。
来年はなんとか再読したいですね。

後者2人の作品は、それぞれ有名な『緋文字』『白鯨』がありますが、自分は読んだことないんですよ。
実は、エマソンとこのお二人、それなりに仲が良くないというか相入れない間柄でありまして、そんなこともあって読んでないという…^^;

もし、機会があれば読んでみてもいいかなと、一応は思ってます。特に『白鯨』。(一応かい!笑)

アメリカン・ルネサンスは、輝かしい時代ではありましたが、それほど長続きしませんでした。
ここから南北戦争へと続くんですが、その辺りに前後して出てくるのが詩人ロングフェロー。
この人も好きです。

こういう歴史の流れって、掘り下げれば掘り下げるほどおもしろい。
元々は、世界史も日本史も、結句、暗記ものっていうものでしかなかったのと、歴史の中での繋がりとか実際のところの因果関係とかは、かなり端折ってたり、薄めてたり、歪めてたりされているので、つまらんのですよね。

今になって、特に近現代史(学校では時間切れでザザ〜っと流すだけで終わってしまうところ)なんて、突けば突くほどおもしろいのです^^

とりま、隙間時間見つけて、また探索をしていこうと思います。

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2022年4月10日 (日)

桜も見納め

ほぼ仕事ばっかりになった3月と打って変わって、4月はスタートから順調に休みが取れています。
が、先月のうちにできなかったことのツケがしっかり残っているので、折角の休みも、ほぼ、それの対応に追われているのが現状^^;
ま、いつも、こんな感じかな。笑
それにしても、やること溜まりすぎです。。。

そんなこんなで、満開の桜を観に行くなんてことはできないままになってしまいました。

「今年の桜は今年しか観れない」

これって別に桜に限ったことではなくて何でもそうなんですが、事「桜」に関しては、その思い入れは大きいです。

そんな中、先月末の宇治ではないですが、たまたま出向いた現場で遭遇することのできた桜がこちら。

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勤務先の出張所の近くに神社があるんですが、そこの桜です。
毎年、チラ見だけでもするのを楽しみにしているんですが、神社だけあってかなり立派。
今回、たまたまこの機にこちらに来れたのが、何よりある意味ラッキーでした。
時間の制約もあって、滞在時間は10分もなかったんですが、しっかり写メもできてよかったです^^

この日は5日。
そして今日は、もうもう10日。早いです(^^;;

そうこうするうちに、もう八重桜の時期になりますね。
ゆっくり堪能する時間も折も持てそうになさそうな感じなので、機を見て制すではないですが、即対応できる心の準備だけは日々持っておきたいと思います。

 

話は全く変わりますが…
最近、現代史に凝ってます。
特に1900年以降のアメリカの権力構造とかの、いわゆる教科書には書かれてこなかった歴史。
というより、書けない史実ですね。

本はできるだけ買わないように買わないようにと思いつつ、3月は5冊購入してますが、全て現代史。
基本、歴史に興味がなかったのが、例の学術会議問題から興味を持って、加藤陽子氏の本を1冊読んだことがきっかけです。

いろいろと読んで、また、あちこちから情報を分け入って取り込んでいる日々です。
その過程で思うことは、たくさんの情報が入り乱れている中、この国で発信される情報は、どこかからの一方的なものやらその焼き増しものがほとんどで、そこに精査とかクロスチェックとかってことがないということ。
それにもかかわらず、「それ」をベースにして(つまり、「それ」を是として)、あれこれと施作・対応をして(させられて?)しまっていますが、そんなことしてたら、行き着く先は暗闇でしかないのでは?と思ってしまいます。

「知る権利」ってことが云われても、情報を発信する側は「報道しない権利」とかってことを出してくることもあるし。

それならば…
云われ出してかなり久しいですが、「メディア・リテラシー」というものを、こちら側がしっかり身につけて、情報を選り分けて、探求していくしかないのではないかなと思います。

「今」に続く現在進行形の現代史を学ぶには、堤未果先生がよく云われる「歴史と人事とお金の流れ」を読み解く…ってこと。
そこから見えてくるものは、かなりおどろおどろしいものばかりですが、「知る」ことからしか始まらないことがあるのも事実。
毎日、隙間時間を見つけては学びの日々です。

あ、特に大切なこと。
テレビは観ない方がいいです。「フェイク」の海です。うちは無いので助かってます^^;

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