読書

2026年10月 7日 (水)

『あなたのままでCAになる』

え???
工藤よ、CAになるのか?

んなこと、あるわけないです。笑

そうではなくて・・・

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カリグラフィーの伊丹教室「伊丹会」に來られたことのある AKIKOさんが、本を出されてたんです。

つい先日の「伊丹会」で、そのカリ教室主催の麻由里さんから教えていただいたんですが、その日、帰ってくるなり即でポチっとさせていただきました。

ちなみに、AKIKOさんと麻由里さんはとても仲のいいお友達です^^
そして何より、AKIKOさんは、元CA。

めちゃくちゃ洗練された上品さと英語に堪能であること。
言葉遣いも、下町工藤は穴があったら入りたくなるようなレベルです。(^◇^;)
実際、入ってしまってました。笑

本は今日届いたばっかりで、最初の「はじめに」のところを読ませていただいただけですが、そこに・・・

”CA受験を乗り越えるには「自分軸」「思い込みからの解放」「物事をとことん突き詰める思考」が大切です。”

と、書かれてますが、これって別にCAに限らず、いろんな分野に通じることではないかな?

それよりも、実は最初からそういう内容になっているのでは?と思ってたんです。
しっかり想定内です。
なので、「即ポチ」とした次第。

そしてまた、同じく「はじめに」の中で、

”Chapter Ⅳでは、苦しい時ほど感謝を持つ大切さを伝えます。”

と。

ドンピシャです。

結句、一流が進むベクトルっていうのは、大概同じようなところに収斂されていく。
自分の限られた狭い視野の中でも、それは如実なんですよね。

なんしか、この一冊も、今月の読書リストに追加させていただきました。

てことで、AKIKOさん、今度お会いするときに、サインをお願いしま〜〜〜す。笑

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2026年10月 2日 (金)

彩雲✨…と『肩をすくめるアトラス』

いつも歩く時は、やたらと空を見上げてます。
(大丈夫です。「滅多に」ぶつかったり、落ちたりしません。笑)

今日も、さっき、ちょっと〒へ出向いてきた帰りに、ふと、空を見上げると・・・

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めちゃくちゃキレイでした。
得した氣分になりますよね、こういう光景に出会えると。

昨日今日と、ケムケムが無いので、それもまた嬉しい限り。
いいお天気、続きそうです。関西は。

 

9月の本読みは5冊でした。
残り3ヶ月もこれくらいのペースでいけたらと思ってます。

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アイン・ランド著『肩をすくめるアトラス』

アメリカでの有名な話で、ざっくりしたアンケートで、この本が聖書に次いで「人生で最も影響を受けた本」ということになっています。
ただ、おもしろいのは、学者等へのアンケートでは名前もあがってこなかった。

何人もの方がYouTubeやらnoteやらで表現されてますが、それって結局、リベラルには受けが悪いってことです。(アイン・ランドの思想的なものを観ると納得。笑)

個人的には、YouTubeでの芥川賞作家の羽田圭介さんの解説が一番しっくりきました。
まあ、ラストの方のロシアがどうの、ウクライナがどうのって部分は、事実誤認・情報不足ですぜい!と云いたかったですが。

この3冊。かなり分厚い。笑
当初は半年(ふと月に1冊ペース)くらいで読めたらいいかと思ってました。ところが、読み出すとあまりにも面白すぎて、隙間時間だけで読んでたんですが半分の3ヶ月で読めてしまいました。

自分はリバタリアンでもランディアンでもありません。

・リバタリアン:個人の自由や自己決定権を最大限に尊重し、国家や政府による介入や規制をできる限り小さくするべきだと主張する思想(リバタリアニズム)を支持する人々のこと。日本語では「自由至上主義者」などと訳されてます。

・ランディアン:著者のアイン・ランドの強烈なファンってところかな。

なので、アイン・ランドの思想とかを知りたくて読んだものではありません。
「聖書」に次いで…とまで云われている本なら、一度は読んでおこうかな…ってくらいのトーン。

でも、ともかく面白かった。
といっても、「感動した」とかってことではありません。

いくつもの思想的なものがボトムから含まれてはいるんでしょうが、そんなことより、「企業恋愛小説」って感じでしたね、自分には。

一点、不満をいうと、2冊目の 1/3 を過ぎるあたりから、残りの筋書きが垣間見えてしまったってことかな。先が読めてしまうんです。

それでも、それはそれとして、ラストまでワクワクしながら読ませてもらえたのが、お高いものでしたが(3冊で6000円ほどです。悲鳴!)読んでおいてよかったと思ってます。

 

以下、少し、付箋を貼ったところ。

・「フランシスコ、もっとも堕落した人間ってどんな人間のこと?」
 「目的のない人間のことだ」

・だが人生も、幸福も、理にかなわない氣まぐれに流されていてはまっとうできない。人はどれほどでたらめに生きようとも自由だが自然の定めに従って生きないかぎりは滅びるのと同様、人はいかに無分別な詐欺によって幸福を求めようと自由だが、人間にふさわしい幸福を追求しない限り、葛藤の責め苦に苛まれるばかりだろう。道徳の目的は人に苦難と死を教えることではなく、楽しんで生きることを教えることだ。

・タッガートさん、あなたは二流の人物の烙印をご存じかな? 他人の業績への憤りですよ。誰かが自分の業績を超えてしまわないかとびくびくしている神経質な凡人ども——やつらは頂点に到達したときの孤独をこれっぽっちも知らんのだ。同等の人間を求める孤独——尊敬すべき精神と賞賛すべき業績への渇きを。相手はその輝きで他人の影を薄くするのを喜ぶものだと思ってやつらはネズミの巣から歯をむきだす——実際は他人の中に才能のきらめきを見るためなら人生のうちの一年をささげてもかまわないと思っているというのに。やつらは成功を妬み、大きな夢といえば、すべての人間が自分より劣ると認められている世界だ。そんな世界は偉業を成す人間には耐えられないものであって、そんな夢をみることこそまぎれもない凡庸さの証拠だということをやつらは知らん。自分より劣った者たちに囲まれるときにどう感じるか、やつらは知りようがない。憎悪? いや、憎悪はない、倦怠感——ぞっとする、絶望的な、ひどく疲れる、感覚も麻痺するような倦怠感です。尊敬できない人間からの賞賛や追従に何の価値がありますか? あなたは自分が賞賛できる人間への渇望を感じたことがありますか? 見下すものではなく、あおぎみる対象への渇望を。

・楽しくないことに力をつくし、尊敬しないものに仕え、悪とみなすものに屈し——世界を他人の価値観にゆだね、自己を否定し、拒絶し、放棄してみることだ。自己とは諸君の知性のことであり、それを捨てれば、諸君は肉の塊になり、人食い人種の餌食になるだけだ。

・すべてのことがらには二つの側面がある。一方は正しく、もう一方は誤りだが、中間は常に悪である。誤っている人間はまだしも、選択の責任を引き受けるだけではあっても、真実へのいくらかの敬意を保っている。だが中間の人間は、選択肢や価値など村んざいしない振りをするために真実を抹消し、どんな戦いにも関与しないことをよしとし、無実の人間の血で金儲けもすれば罪人のもとへ這いつくばっていくこともいとわず強盗と被害者の両方を刑務所へ送りこむことで正義をわかち、思想家と愚人に歩み寄りを命じて争いを押しのける悪党である。食物と毒との間では、少しでも妥協しようとすれば、勝利しうるのは死だけである。善と悪の間では、少しでも妥協しようとすれば、利益を得るのは悪だけだ。悪に糧を与えて善を枯らす輸血において、妥協する者は送るゴム管の役割を果たすことになるのだ。

面白かったですが、特にお勧めはしません。^^;
お勧めするなら、

・デヴィッド・ホーキンズ博士の『パワーか、フォースか』と『「手放し」のすすめ』の2冊ですね。
これは読んでおいた方がいいかと思います。

というわけで、今月は、星よみの勉強本をメインに読んでいこうかと思っています。

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2026年9月17日 (木)

メモ…「不機嫌」from 『若きウェルテルの悩み』by ゲーテ

読みました。
二十年ぶりくらいかな?^^; 記憶にない。

「不愉快」についてのゲーテの言。
忘れないように…ってことで、メモとして。(ひとつ+αしてます=最初のもの)

『若きウェルテルの悩み』
岩波文庫
竹山道雄訳

↑ この方の翻訳はとても平易でわかりやすいです^^

 

「私はよく知っている。
われわれは平等ではない。
またありえもしない。
しかし、思うのだが、
威厳を保たんがためにいわゆる賎民から遠ざかる必要があると信じている人間は、
敗北をおそれて敵から身をかくす卑怯者と、
同じ非難に価いする」

「不機嫌は怠惰と似たものです。
その一種です。
われわれの性情はともするとそれに傾きます。
だが、いったんじぶんの気持をひきたてて奮起する力をもちさえすれば、
仕事もさっさとはかどるし、
活動がほんとうの喜びにもなります」

「(不機嫌のように←工藤加筆)自分をも身近の者をも傷つけるようなことは、
当然悪徳と呼ばるべきですよ。
お互いに幸福にしあうことがむつかしいだけでもたくさんだのに、
その上なお、
誰でもときどきは自分の心に与えることができる楽しみまで奪い合わなくてはならないのでしょうか? 
不機嫌でいながら、
しかもまわりの人たちの幸福を傷つけないようにと、
それを自分だけで堪えて包んでいられるような、
それほど立派な人が世にいるでしょうか! 
不機嫌はむしろ、
自分のくだらなさに対するひそかな憤懣ではありませんか? 
愚劣な虚栄によって煽られた嫉妬とつねに結びついている。
自己不満ではありませんか? 
目の前に幸福なる人間がいるが、
あいにくとそれは自分が幸福にしてやったのではない。
これが癪なのですね」

「人間の悪徳の中で何よりいとわしいのは、この不機嫌だ」

 

ところで、不機嫌な人が身近に居て、不機嫌な言動をした際・・・

「体調悪いんですか?」って

ものすごく心配して声をかけるといいそうです。^^
これ、やってみようかと思ってます。

 

明日は再び京都へ出向きます^^

楽しみ🎶

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2026年8月27日 (木)

”不機嫌” ふたたび by ゲーテ

今朝一番、アメブロの方で、30次元魂代表先生が”不機嫌”について書かれてました。

「不機嫌やめろ」← アメブロ記事です

それ(↑)を読ませていただいたあとで・・・

「書き直すように」

との声がどこからともなく聴こえ、それを素直に受け止めて(笑)先ほど書き直したのができたところです。

 

ゲーテ

 「人間の最大の罪は不機嫌である」

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訳文3種、今度は一枚ずつ。


一昨日にも書きましたが、ここんところ、ゲーテの”不機嫌”について、いろいろと思うところが湧いてきてました。
そういう”波”なんでしょうか?

アメブロ記事内で、39次元魂代表先生も書かれてますが・・・

突然キレる人

自制心なくなる

人は

 

要は

幼児性


そこに尽きると思うんです。
幼稚でかまってちゃんが多いし。

もうちょっと突っ込んだこと書きたいですが、それは我慢しておきます。^^;

この手の方はどこにでもおられますよね。

要は、自分の機嫌は自分で取りなさいってことなんだと。

 

そうそう^^

”不機嫌”絡みでの参考図書。
早速、ゲットしました。
月明けから読んでいきます。

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今回、”不機嫌”のことを考えてて、リンクしたのが”嫉妬”。

”嫉妬”といえば、三木清氏の「嫉妬について」っていう秀逸なエッセイ(というか小論)があります。

もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。
嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。
なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向かって働くの一般であるから。

↑ がその冒頭。

興味のある方は読んでみてください^^

ちなみに、青空文庫ってのがあって、そこで『人生論ノート』の全文を読むことができます。

『人生論ノート』← 無料で読めますよ。

この青空文庫、素晴らしいです。

”青空文庫” ← よかったら是非

 

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2026年8月13日 (木)

マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』から

マルクス・アウレリウスの『自省録』って、読みたい読みたいと思いつつ、なぜか自分には、ついつい購入するのを忘れてしまう不思議な一冊で・・・

学校で習った世界史は大嫌いでしたが、この時代の歴史は結構好きかもしれません。
高校の世界史にあるので、微かにでも記憶にある方もおられるかもしれませんが、マルクス・アウレリウスはローマ帝国五賢帝の一人。

懐かしい・・・^^

記憶力の悪い自分でも、今でも覚えています。

・ネルヴァ
・トラヤヌス
・ハドリアヌス
・アントニヌス・ピウス
・マルクス・アウレリウス・アントニヌス

パックス・ロマーナの時代です。

この時代、ストア学派ってのがあって、その中のセネカも大好きな一人です。
もちろん、マルクス・アウレリウスも同じくそのストア学派。

セネカは『人生の短さについて』が有名かな。

あの時代の人間の内奥への掘り下げは、時代が降った「今」よりも、もっともっと深くて広いような気がするものです。

ほんと、なつかしいいいいい。

と、うだうだ書いてもつまらないので(笑)・・・

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今後のために覚えておくべきルールがある。
恨めしい思いを抱きそうになったときには、「不運だ」とするのでなく、
「これを価値あるものに変えられるのは幸運だ」と考えることである。

この楽観主義もすばらしいと思うものです。

これにリンクしてちょっと思い出したのが、エレナ・ポーターの『少女パレアナ』。

亡き父との約束、「どんなことがあっても、そこに喜びを見つける」ってことを、どこまでもとことんやり抜いた…というか、父との約束を守り抜いた少女の話。

これは手元にあるので、また読んでみようかと思います。

 

新月でしたね。
その影響なのか・・・
昨日から体調がよろしくなくて、21時半過ぎにちょっと横になったらそのまま寝てしまってました。
窓開けてたので、寒くて目が覚めたのが1時半。
なんとか布団を敷いて寝ましたが、今日は夕方までほとんど起き上がれず。

やっとこさ、7割がた調子が戻ってきたかな?ってところです。
やりたいことがありましたが、即変更して、横になったままでもできることをやっておきました。

もう普通にしているので、後少しの時間、寝るまでラストスパートかけます。笑

 

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2026年6月16日 (火)

尹東柱(Yun Dong-ju)

『序詩』

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている。

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韓国のカリグラファーで友人でもある Hwang Jun-young くんが神戸に来たときに、半日一緒に語り合ったことがあります。(彼は超有名カリグラファーさんです^^)

その時、この尹東柱のことを話題にして、Junくんに、彼の英語版の本があれば送って欲しい旨を伝えました。

しばらくして送ってきてくれたのがこちら。
ハングルと英語の2冊揃えの尹東柱の詩集。
工藤の宝もののひとつです。

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Junくん、どうしてるのかな?

なんしか、読解力とか鑑賞力とかは浅いながらも詩が好きで。
この尹東柱は好きな詩人の5本の指に入ります。

・Walt Whitman(ウォルト・ホイットマン)
・Emily Dickinson(エミリー・ディキンソン)
・Jose Rezal(ホセ・リサール)
・尹東柱
・秋瑾

↑ が詩人のマイ・ベスト5。

ちなみに、順不同です。^^; 順番決められへん(笑)

この『序詩』と題された詩も、こないだのディキンソンではありませんが、何度も何度も書いてきた詩のひとつ。

 

昨日は、双子座の新月。

ざざっと星読みをしてたら、まさに、この詩のままの新月やな…って思い出して&思って、一気に書かせていただいた次第です。
ラストは息切れしそうでした・・・

一回で書けてホッとしすぎて力が抜けました。笑

・朱墨
・xハイト:3ミリ
・コピー用紙
・ハント101

 

さて・・・
昨日の今日。
朝起きてから一日、その尹東柱のことが頭から離れず、つまるところ、彼の詩集『空と風と星と詩』を読み直すことにしました。

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この詩集の一番最初にでてくるのが、この『序詩』です。

岩波文庫の金時鐘氏による編訳。

名訳ですね。

何度繰り返し読んでも、透き通った夜空に微かに光る一つの星を、ジッと凝視している自分の姿を、他人を観るように宙から観ている自分が思い浮かんでくるような気がしてくるんです。

一点どころか、恥じ入ることはわんさとある中なので、ジッと凝視しながらも、その表情はこわばって、眉間に皺を寄せて、その目は充血しているようにも思い感じているのが、その傍から観ている他人のような自分がいて。(ややこしい…^^;)

尹東柱のこの詩は、だからこそだと思うんですが、自分の本来の命の使い方を、読む度に「思い出すのです」と静かに語りかけてくれているように感じるものです。

つまりは、まだまだ「思い出せては・・・」いないってことですね。
それとともに、「なにをやっているのですか?」と半ば呆れ顔で云われているようにも感じます。

昨日は双子座の新月。
そして、もうすぐ夏至。

この二つの大きなイベントは、「本来の自分」の持っている「使命」というものを、もういい加減に思い出して、そこに焦点を合わせて生きていく、今がその時ではないのか?と、なにか大きな意思のようなものから、突き上げてくる問いかけであると感じました。

そこらのことを、もう少し膨らませての星読みをしたかったのですが、時間不足なのでできるかな〜

可能なら夏至までに。

 

ひとつだけ、別の詩を載せておきます。
これも好きなもののひとつ。

月のように

年輪がはぐくまれていくように
月が満ちてゆく 静かな夜
月のように孤独な愛が
胸にひとつ くっきりと
年輪さながらに印されていく。

 

治安維持法違反ということで捕えられ、福岡刑務所で獄死させられた前途有為の才能ある詩人の短い生涯に、ささやかながら敬意を表したい。

あなたの詩は、今も読み継がれていますよ。

 

 

今日の夕方の空・・・
要らん細工がされているな…と。

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今日もお疲れ様でした。

また、あしたもがんばろう!

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2026年2月 3日 (火)

1月の振り返りと「Rumi」の言葉から

1月も往き、2月が始まっています。

デジタルデトックスのことをちょこちょこ書いてますが、やっぱり恐るべしですね。

ブログは都合4つ(一つは休止中)持ってますが、ここのココログが14回、アメブロさんのところで15回の投稿を先月やってました。
これ、デジタルデトックスしてなかったら、絶対ありえないことです。(^◇^;)

いつもなら、月に1〜3つくらいが通常でしたからね。笑

まあ、その時々での忙しさもありますので、この先については状況次第ってことはありますが。
とりあえず、今月はかなりハードなので、少しは控えめになるかも?
それでも、10回くらいは投稿できるかと思います。

それから本読み。
2026年の最初の1ヶ月は7冊読了でした。
時間があったからってわけではなくて。
読書タイムについては、じっくり時間を取って読むのはなかなか難しいのは以前と変わりません。
ただ、隙間時間(特に電車の待ち時間+乗車時間)をできるだけフルに使って読むようにしてきた1ヶ月で、それのおかげも大いにあるかと。

2月も同じくらい読めればいいんですが。

このひと月で「これは読んでおいてよかった」ってのは2つ。(といっても、読んだもの全部よかったです。特にってことで)

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小保方さんについては、前回にちょっとだけ書いておきました。

この1冊を綴るのは、生半可の苦しさやなかったやろなって。

一箇所だけ付箋をしたところがあります。

「みんなで決めた悪には、どんな酷いことを言ってもやっても許される社会の残酷さ。
 尊敬していた著名な研究者たちからのマスコミを通じて伝えられる糾弾、それに乗じた有象無象の辛辣なコメントは、体のあらゆる感覚を奪っていった」

この本の一番重きになるところかな。
日本中からのバッシングの中、研究者の道を「閉ざされて」しまった、言い換えれば「未来を容赦なく潰されてしまった」小保方さんではありますが、それでも、今もどこかで生き続けておられることに最大の敬意を表したいです。

 

そしてもう一冊は…

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これはもう絶対に読んでもらいたいなって思う一冊。
特にこれからの時代(次代)を創りゆく若い人たちに。

検索すれば、かなりいろんな情報が出てくるので、ここでボキャの少ない工藤が書くより、気になる方はそちらを参考にしていただいた方がずっといいかと思います。
是非。
YouTubeでもこの本に関しての動画はかなりあります。

 

さて、今月初のカリ🖊️

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Rumiの言葉からセレクトです。

「他人の物語に満足するな。
 あなた自身の神話を広げなさい」

Rumiって、随分前からですが、なんかあんまり好きなれなくて。^^;
でも、なんかたま〜にグッとくる一文に出会ったりするんですね。
にもかかわらずですが、カリで書いてみようとかって思うことはなく。

なわけで、これは初Rumi。

まあ、ほんとごめんなさい状態なんですが、今回はめっちゃグッときたので書いてみました。
ただ、そんな自分の心理があるからか、失敗ばっかりしてまして、これはやっと5回目です。

イタリック体
水性インク(ざっくり、笑)
C4
で、いつものコピー用紙

元はカード書きにしたかったんです。
が、失敗ばっかりしてしまったのでコピー用紙に落ち着いた次第です。

今回、遊んだところは、2行目の2つの「g」なのですが、この2つの文字だけ、アセンダー部分をベーシックより少し長めにしてみました。

どういうことになるのかっていうと、本来なら…ここでいうと、2行目と3行目ってどんなに近くてもある程度の上下のスペースが必要。(他の部分を見てもらえればわかるかと)

でも、「g」の最下部のところと3行目のアッパー部分がめっちゃ近くなっているわけです。(敢えて近づけたのです)

基本的なところでいうと、それは「あかんやつ」になります。

でも、長めにして下の行の近い文字の天井とここの部分の「近すぎる」ビジュアルで「ん?」って思わせるようにしてますってこと。
なぜそうしたかっていうと、この2つの「g」が「have」を挟んでちょうどいい按配の位置にあるんですが、全体のレイアウトでいうと、真ん中の行でもあるし、遊ぶには位置的なバランスもよかったからで。

多分、「お前、何云うとるん???」って思われていると思いますが、まあ、「遊び」なので。笑

「遊び」もないとおもしろくないですから^^
そういうのって自己満足でもいいのです。爆

 

さて2月。
2月は「逃げる」ですね。
工藤的には「追い回したる!」と思っております。

寒い日々はまだ少し続きそうです。
あったかくしておいてください^^

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2025年9月30日 (火)

今月は12冊!

何度か書いてきたことですが、今年は本を70冊読むぞ!と決めたものの、会社の引越しで2〜4月の3ヶ月は月に1冊しか読めてませんでした。

これが、かなり悔しくて、5月は巻き返しで9冊。
6〜8月は平均5冊。

それでも目標は遠い・・・^^;

なので、この9月は、隙間時間をフルに徹底的に使う!と決めて読んできました。
まとまった時間て絶対に取れないので、ただただ隙間時間を活用するしかありません。
でも、その決意?のお陰で今月は、終わってみたら12冊読めてました。
これもまた工藤の「やったらできる」シリーズです。笑

数字がどうのこうのではないんですが、目の前に何しか読みたいと思って積み上げた本が4〜50冊ほどあるので、この山も早く崩してしまいたいっていう思いもあります。(目的がよくわからない。笑)

「本が読まれなくなって…」と云われ出して久しいですよね。
一年に1冊も読まない学生さんもかなりいるくらいですから、活字離れが甚だしくて、今後のこの国の行く末も心配になってきます。

何より、ちょっと長い文章が最後まで読めない。
何より、日本語がじわじわと変容してきてしまっているのは、体感でも感じる今日この頃。

一抹の不安ですみそうもないなと、今の世相を掛け合わせても感じ入ってしまいます。

本ていいよ^^

人間はロゴスの生き物なんやから。

 

今月ラストに読んだのが、『対訳 ディキンソン詩集』でした。もう何回目なのかは忘れましたが再読です。

エミリー・ディキンソン。
アメリカの詩人の女性代表と云ってもいい方。

ちなみに男性代表といえば、ウォルト・ホイットマン^^

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そのエミリー・ディキンソンの詩で有名なのが・・・

 

If I can stop one heart from breaking
I shall not live in vain ;
If I can ease one life the aching
Or cool one pain,
Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in pain.

もし私が一人の心の傷を癒すことができるなら
私の人生は無駄ではない
もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ
苦痛をさますことができるなら
弱った一羽のコマドリを
もういちど巣に戻してあげられるなら
私の人生は無駄ではない

 

ディキンソンの詩集の大部のものが欲しいんですが、まあ、難しいですね。
デジ本(英語版全詩集)はスマホに落としているので読めるんですが、解説が欲しい…^^;
そういう意味では、↑ の岩波文庫のは、とてもわかりやすかったです。

そんなこんなで、この1ヶ月は読書だけではなくて、何かと燃焼できたと思います。
燻り残りが少ない、自分としては珍しい1ヶ月であったかと。

来月も、また燃え尽きるまでワクワクしながら頑張るべ🎶

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2025年9月29日 (月)

矢野暢著『衆愚の時代』・・・2

前回からの続きになります。

「世の中には、巧まずして人びとを感動に導く真実のドラマがありうる。そして、そのようなドラマは、人びとが全力を尽くして自分の使命をまっとうするという、いわば、ごく単純な心掛けから生まれるのである。逆に、人びとが自分の使命との素朴な取り組みを忘れたとき、この世の中からは、、感動を誘うドラマは消えてしまうことになる。」

↑ これは引用のみにしておきます^^

「正義というものは、誠実に生きる一人の人間のインテグリティに宿るのである。複数の正義の問題点は、そのことに目を閉ざすところにある。」

10人いたら「10人の正義」があるってこともいいますが、この国の場合、「同調圧力からの”多数”の正義」が跋扈したりするので、これはこれで手に負えないところでもあるかなって思います。

「誠実に生きる」ってこと自体も、今の時代、そのこと自体が堅苦しいってトーンで解釈されてしまって、そこから生み出されていく真摯な言動なんて、まさに目を閉ざされていってしまう。

そんな時、「一人の正義」なんて、徐にただただ叩かれ、潰され、黙らされてしまうことがあって、それがどれほどその「一人」を苦しい思いに突き落としてしまうことか…
そこにある「一人の正義」の生の声なんて、聴き入れる世界自体が貧弱になってしまっているし、その空気感も日々月々年々に増幅されてしまっているように感じます。

ついつい数年前からのこの国の光景は、まさにこの状況のまま。

それを「言い得て妙」に表現しているのが・・・

「現代の悲劇は、人びとが、多数の声であればあるほど正義や真理に近いという錯覚を持つところにある。多数の声が正しいことを語るときもあろうが、一人の声だけが正しくて、ほかの声がことごとくまちがっているということもありうるのだ。とにかく、少数者の道理が通らなくなりがちなところに、私は時代の精神の堕落をみる思いである。」

コロ助茶番で声をあげながらも…というより、声をあげたが故に酷い目に遭ってきた人たちが感じてきたことも、多分、↑ に近いことではないかと思ってしまいます。

いくら声を上げても、聴き入れてくれる人がほとんどいないわけですから。
家族でさえ、親族でさえ。
ましてや会社の同僚たちにしても同様。

システム的に創り上げられたものの力で、ネットの世界にしても蹂躙されてきてしまっているし、これからは情報一つにしても、それが正なのか邪なのかを国家が決めていくことになってしまっています。

情報は、権力が正邪をどうこうするものではなくて、いわゆる一般ピープルが自分の頭で考えて取捨選択していくべきもののはず。
国家が介入するということは、国家にとって都合の悪いことがそのまま「邪」とされてしまってこと。
この辺りのことを知る人は、まだまだ少ないわけで、そこにある種の絶望は感じざるを得ないですね。

「最近、ヒューマニズムが妙に観念的になり、理屈っぽくなり過ぎているように思う。ほんとうのヒューマニズムというのは、無心の行動主義であるはずなのだ。困っている人があれば、自分を犠牲にして救いの手をさしのべる、ただそれだけのことなのである。」

まあ、とにかく、この本の「終章」は、まさに「今現在」のこの国の状況にドンピシャです。

そうなることをまさか「予言」して書かれたものではないのはわかってはいますが、それでも、当時から結局のところ、その「種」はしっかり植え付けられて密かに育てられてきていたってことなんでしょう。

誰に? 笑     
そして、いつから? 笑笑

まあ、書き方としては脈絡が連鎖しにくいですが、だからこそ、自分は自分で感じた「違和感」に拘って、「徹して調べてみる」姿勢を、2020年の後半からとってきました。
その選択は間違ってなかったなって思っています。

 

「危機」というものが実は無いのに、「危機だ! 危機だ!」と「危機」を煽って、そこに「危機なるもの」を作り出すことで、その那辺に「危機管理」を紡ぎ出す「権力」っていう、これ、確か、岡庭昇さんの論理だったような。

なんにしても、「危機」を煽れば、そこに「恐怖」が芽生えるわけで、その「恐怖」を利用しない手はないんですよね、権力にとっては。
何のために?笑

「恐怖」はかなり使い勝手がいいのだと思います。

でも、その「恐怖」は、「神性」と「知性」を求める精神性があれば、実はクリアできるものと思うわけです。

「なにはともあれ、『神々』の不条理な渇きにたいして、私たちは醒めた目を向け続けなくてはならないのである。『神々』の陣営にその一員として身を投ずることは、いとも簡単なことである。なぜなら、いまどきの『神々』は、俗性と反知性主義とを栄養素とする、いわばほんとうの神性にとぼしい俗人集団だからである。それでいて、ふしぎなぐあいに正当性をもっているから厄介である。」

この本が書かれた時代と「今現在」は30数年も差がありますが、矢野教授の示された「神々の渇き」自体のベクトルは、ほぼほぼ重なっています。

この著作の最後の言葉が・・・

「私としては、複数の不特定多数の集団の正義より、自分一人の信念で生きようとする個の論理の正当性を信じたいと思う。『神々』が不都合だというつもりはないが、一人ひとりの個性の尊厳を顧みないところに、正義もなにも成立するはずはないのではないだろうか。」

ま、そういうことなんでしょうね。

賢くないですので深掘りはできませんが、それでもやっぱり、「知性」とか「知力」とかっていうものは、しっかり自分の中に育てていかないと、この先のやばい時代に、ただただ翻弄されてしまうだけだと思うわけです。

 

てことで、今月は11冊読めました!!!
あと1冊読めたらな〜と思ってます^^

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2025年9月26日 (金)

矢野暢著『衆愚の時代』・・・1

昨日というか、日付が変わってたので今日ですが、全然寝れなくて(^^;;

布団入りしてから目が冴えまくってたので、寝れない時のいつものように「animal rescue」をFacebookで観てました。
そのうち眠くなるやろうと思ってたんですが、全く・・・笑

結局3時くらいに寝るのを諦めて、そこから1時間半ほど読書をしてました。

今日は起きたのは9時です。休みでよかったです。^^;

 

さて…
今のこの国の世相のことを考えてて、この本のことちらっと思い出したのがいつやったのか忘れてしまったんですが、多分1月くらい?かな?
思い出しただけではなくて、また改めて読んでみたくなったので、すぐに検索してAmazonで購入。
届いてから結構放置してたんですが、9月に入ってから読む気になって、先日読了。

最初に読んだのは、この本が出てすぐくらいやったと記憶しているので、多分、1990年です。
もう35年も前なんですね。怖いな・・・(^◇^;)

Img_5896

今回は忘備録として、ちょっと quote しておこうかと思います。

内容的には、今となっては情報自体が古くはなってきているのですが、矢野教授の文章はやっぱり読みやすくてわかりやすいなって、あらためて感じました。

いろいろあって、「不遇」のうちに亡くなられてしまいましたが、その件についてはここでは触れません。

アナトール・フランスの『神々は乾く』から敷衍しつつ、ニクソン辞任(これはもう、この本に書かれていることとは別格の事情によることは知っている人は知っている。以下、同様)、天安門事件、ベトナム戦争、アキノ大統領、アウン・サン・スー・チー女史等々のことが描かれています。

スー・チー女史の軟禁事件の時は、アムネスティー主催の釈放要求署名運動に携わったことがあります。

結構集めました。100数十名やったかな。

そのスー・チー女史については、まあ・・・です。^^; 今はね。
世間で云われていること(テレビで報道されていること)と実態は違うんだってことですよ。
才媛ではありますが。

それはそれとして、話を戻して矢野教授の秀逸な引用を少し。

★エリック・ホッファー★

「権力は腐敗すると、よくいわれてきた。
しかし、弱さもまた腐敗するということを知ることはだいじである。
憎悪、敵意、粗暴、不寛容、猜疑は弱さの所産である。
弱者のさかうらみは、かれらに加えられた不正から生まれるのではない。
むしろ、人間の無力感と無気力から生まれるのである」
(下線はブログ主。以下、同様)

★エリー・ヴィーゼル★

「広島を忘れてはいけないんだよ。
人間は、忘却と許しとでは、安易なほうに流れがちだ。
忘却の方が安易なのだ」

★司馬遼太郎★(司馬遼も、自分は「う〜ん・・・^^;」なんですが、それはそれとして)

「日本人がもつ、どうにもならなぬ特性のひとつは時流に対する過敏さということであるらしい。
過敏なだけではない。
それが時流だと感ずるや、なにが正義か、なにが美かなどの思考はすべて停止し、ひとのゆく方角にむかってなりふりかまわずに駆けだしてしまう。
この軽薄な、というより軽薄へのすさまじいエネルギーが日本の歴史を作り、こんにちを動かしていると考えられなくはない」

「この国の社会は日常、ブームでみちている。
あらゆるものがブームである。
……週刊誌の編集部も、ブームのたねがきれると、思わぬヒッソリ閑とした事象を掘りだしてホコリをはらい、いまはこれがブームですとさわぐ。
それが日本である」

「われわれは相当な奇国に住んでいることだけはたしかである」

なんか、2020年から今日までの光景を目に浮かびます。
次のパンデミというか、プランデミでも、きっとまた同じことを繰り返すんでしょう。

アクトン卿の有名な言葉に…

「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」

ってのがありますが、こちらの矢野教授の言葉は、フィリピンのマルコス政権が崩壊していく様をベースに、そこからの流れをわかりやすく綴られています。

「権力の腐敗は、必ずその権力の周辺に”愚”を培養する。
その”愚”は、さまざまな愚行となってあらわれ、まわりまわって権力の正当性を損ねていくのである。
そして、やがて、その権力は、自らが培養した”愚”のために滅んでいく」

全部で十章からなるこの書籍。
多分、初読みの時もそうやったと思うんですが、終章が一番、自分には響きます。

この「終章」、4項から成ってまして、第1項のところに、上記に引用の司馬遼太郎さんの言葉が引用されてました。

なので、以下、第2項から引っ張ります。

第2項は「反知性主義の横行」

所謂「かたい本」離れからくる硬派出版社の低迷、そしてマスコミの権力化した姿勢。純文学も読まれなくなっている…等々と言及されていますが、この流れって、ずっと続いて、さらに今もって現在進行形ですよね。

ほんとに本が読まれない時代になってしまいました。

自分なんかは文学が好きやし、かたい系の本も好きなので、フォロー中のブログで本が紹介されてたりすると、すぐにAmazonへ走ります。
たまに書いすぎてしまうこともありますが、先月みたいに・・・

 

矢野教授は綴ります。

「『反知性主義』という、いやな言葉が頭をかすめて消える。知性に価値を認めず、むしろ人間の欲望や感覚におぼれ、流れていくのを許す風潮、つまり『反知性主義』と、日本人は久しく無縁であった。日本をここまで導いてきたものはある種の知性主義であって、『反知性主義』的な傾向は、たとえ芽生えたとしても、社会の空気によって未熟につみとられたのである。

しかし、日本の全体が変わってしまった。日本人が皮膚感覚だけで生きるようになったというべきか、抵抗感のない雰囲気が社会を満たしてしまっている。知性との緊張、倫理との緊張などまるでなくなってしまった。古き良き日本は、もう消えていっているのである。」

まあ、昭和40年代くらいまでがギリギリ「知性」で成り立っていたのかも知れないですね。

続いて・・・

「世の中が『反知性主義』に流れたとき、人びとは、実は未来を失うことになる。うたかたのあぶくのようなざれ事だけが世を満たし、それをもてあそびながら、日々気楽に生きていくとき、人々は充実したいまはもてるだろうけれども、未来を持てなくなっているのだ。いまの日本人は、そこのところにまるで気がついていない。」

「知性主義」なるものがまだまだ世に介在してた頃なら、あの2020年からのコロ助茶番も、今よりマシな流れで受け止められたんではないかな…と思ってしまいます。(甘いかな?)

「知性」というか「知」(=知ること、知識)があるなら、そこから「考える」っていうところへ多少なりとも波及効果はあるわけで、そうなれば、というか、そうなっていれば、いくら同調圧力の強い国といえ、ここまでの為体までにはなってなかったんでは?と考えるものです。(が、これも甘いかな?)

「ただ、悲しいことに、人間は、『現実』とはなにかを思い惑わないままに現実を知りたがる奇妙な願望をもっている。それは、ほとんど、本能的ともいえる願望である。それは、極端まで行くと、スキャンダル報道にむらがる、まったく空しい〈現実主義〉にまでいたってしまうのだ。」

これぞ、そのまま、この瞬間にも通じることだと。

スピンに振り回されていることを知らずにスピンに絡め取られて、大切な事実を観ること・見抜くこともなく、ましてや「考える」こともないというこの国の「現実」を目にするとき、少なからず自らに「違和感」を持てた者からするなら、「世の末」の予感が限りなく現実に近いことを感得するんではないかな。

で、その「違和感」を言語化して発するなら、今度は逆に同調ベースの「大違和感」という大きな流れから、弾き飛ばされてしまうという構図。
弾き飛ばされるだけならまだしも、異質扱いってとこまでいってしまう。
それって、もういわば「潮流」のような大きなものになっている感を受けてしまいます。

元からして日本人というのは、「長いものに巻かれる」式のベースがあるわけなので、「そこ」に違和感を持つのか、「そこから」違和感を持たれるのかってベクトルなのだと思います。

あ、それともう一つ。

自身が「知らないこと」を馬鹿にするってこと。
いやいや(^◇^;)
知らないなら、知らないで通せばいいものを、そうではなくて頭から馬鹿にしてしまうってどうよ?って思うんですよ。
「認識」なくして「評価」は不可なはず。
知らないなら調べればいい。これは自分のベースです。

とりま、今日はここまで。
この項、続きます。

愛想なしもなんなので(笑)、写メを一つ。

仕事帰りの花店駅前の夕焼けです。
きれいでした^^

2025092201

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