めずらしく、カリグラフィー自分書きの連チャンになります。
今回は、シモーヌ・ヴェイユの言葉から。
ほんとは、他に書きたい文章はあるのですが、ちょっとまわり道です^^
「たとえ、歳月を重ねた奮闘努力が、少しも報われないと思えるときでも、いつの日か、その努力にちょうど見合うだけの光が、あなたの魂にみなぎるのです。」
↑ これくらいに云えるだけの努力をしないさいよ、工藤くん!と云われているような気がしてます。
自分、文字は全く大したことありませんが、レイアウトは好きで、こういう長い文章を書くときも一発書きでできてしまうのですが、これは2回も失策をしてしまいました(^^;;
まあ、久しぶりにちょっと長い文章やったので…なんて言い訳ができないこともないのですが、それを云っちゃーおしめえだよ(笑)ですもんね。
なんし、次に別のんを書くときは、大きく気合い入れて書いていきます。
・カッパープレート体
・ハント101
・朱墨
・コピー用紙
いつもコピー用紙で書いてます。
あ、でも、安いのんではなくて、コピー用紙にしてはお高いのを使うようにしてます。
やっぱり廉価版になるとインクが滲みやすいんです。
こういうことも、試しておくとプラスになるものです。
この文章、やたらと「f」が多く出てきます。
なので、練習書きをするにはいいかも。
特に、日本レタグラフィー協会のカパレタ認定講師の方々には、おすすめかもしれません。
(と云っても、レタグラさんでこのブログの読者って居てないでしょうけど…笑)
なんにしても、練習は、「ちょっとハードル高いかも?」って感じるものをセレクトして挑戦するのがいいのです。
インスタにアップしたものには書いておいたんですが、シモーヌ・ヴェイユって、かのトロツキーと激論を交わしたことがあるんですよね。
結構有名な話なんですが、哲学的天才でもある彼女にしてできることかもしれません。
シモーヌ・ヴェイユは早逝の人で、それがほんとに惜しいと感じていますが、実は彼女は書籍を残しておらず、いろんな断片やらメモやらの書き遺しを託された友人が、箴言集として出版したのがシモーヌ本の始まりなのだそうです。
(この辺りは、Wikiに書いてます)
自分は、7冊手元に持ってますが、なんしか難解な内容でして…
が、その中で、一番読みやすいのが、冨原眞弓さん編訳の『ヴェイユの言葉』(みすず書房)。
新装版が出ているみたいですが、工藤のは2003年に出版されたもの。
あちこちに付箋が貼り付けてありまして、その中から少し引用書きをしてみます。
・怠惰の誘惑(ずば抜けて強い)
時間の流れのまえで怖気づくな。しようと決意したことを延期するな。
・わたしたちのうちなる悪が絶対的な善をおおい隠す。思考が悪との闘いにむかうかぎり、滅ぼした分量だけ悪はふたたび生い茂る。願望をこめて、悪をこえて、無限に隔たった善へと思考を方向づける。
・つまらぬことをおこなう者はみな光を憎む」(「ヨハネ」3・20)。悪ではない。つまらぬことである。些事にかかわりあう者は光を憎む。
・人間の魂と運命のかかわりにおいて、それぞれの魂がみずから固有の運命をどの程度まで形成するのか、仮借なき必然は転変する運命に翻弄される魂のなにを変質させるのか。、徳性と恩寵の効能はなにを無傷で守りうるのか、こうした主題似合って虚偽はたやすく、魅惑的である。傲慢、屈辱、憎悪、無関心、忘却や無知の願望、いっさいは虚偽への誘惑に貢献する。特に不幸の正確な表現ほど稀なものはない。不幸をえがくとき、おおむね失墜は不幸な人間の生まれながらの宿命であると信じる振りをするか、魂は不幸を担っていても不幸の刻印をうけずにすみ、不幸に固有のやりかたで思考を変質させられることもないと信じる振りをする。
・歴史とは下劣さと残虐さで織りなされた一枚の布であって、ところどころまばらにわずかな純粋さが輝きを与えているにすぎない。なぜかというと、第一に、人間達のあいだで純粋さは稀にしか散見されず、第二にその稀なる純粋さの大部分は隠されているからである。ゆえに、たとえ間接的な証言であっても探索せねばならない。
・社会問題を避けて通ることはできない。おのずから生じる第一の義務は嘘をつかないことだ。
嘘の第一の形態は、抑圧の隠蔽つまり抑圧者への迎合である。この手の嘘はまっとうな人たちによくみうけられる。日ごろは善良で誠実な人たちなのだが、自分が嘘をついているとは思ってもいない。踏みつけられているほうはなにも感じず、踏まれているほうが痛感するというぐあいに人間はできている。抑圧された人びとの側に身をおき、かれらとともに感じずして、この嘘に気づくことはあるまい。
嘘の第二の形態は、扇動(デマゴギー)である。
右(上のこと)のふたつの過誤は重大である。
まっとうな人たちもこれらの過誤をおかすとはいえ、さらにおぞましい特徴が加わることもある。たとえば第一の嘘でいうと、抑圧者に重ねる幇間がいる。いつの世でも、権力者は探せば流血をひきおこす者たちを誉めへつらって一生をすごす連中を探し出せる。ジャーナリストの十人中九人までが、抑圧者のために嘘をつく職務を嬉々としてひきうける。
ちょっと長いのとかもありますが、ここに引用したラストの分なんて、まさに今の日本そのものです。
シモーヌ・ヴェイユ。
いいきっかけになったので、このまま『ヴェイユの言葉』を再読しておこうと思います。
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