読書

2025年3月 2日 (日)

ポール・エリュアール

とある本を読んでいると、大岡信氏の書籍からの引用が気になって、すぐにポチッとして購入。

まず、その元になった引用がこちら。

「日常用いているありふれた言葉が、その組み合わせ方や、発せられる時と場合によって、とつぜん凄い力をもった言葉に変貌する。
そこにこそ、「言葉の力」の変幻ただならぬ表れがあり、そこにこそ言葉というものを用いることの不思議さ、恐ろしささえあるということだ。なぜそういうことが生じるのだろうか。結局のところ、事柄は次の一点に帰着するだろう。
つまり、われわれが使っている言葉は氷山の一角だということである。氷山の海面下に沈んでいる部分はなにか。
それは、その言葉を発した人の心にほかならず、またその心が同じく言葉の海面下の部分で伝わり合う他人の心にほかならない。私たちが用いている言葉は、そういう深部をほんのちょっぴり覗かせる窓のようなものであって、私たちはそれをのぞきこみながら相手の奥まで理解しようとたえず務めているのである」

読んだ本には、↑ の引用が全部あったわけではなく半分くらいやったんですが、ついでなので関連部分として当該箇所を拡げて書かせていただきました。

この引用部分が気になってゲットしたのが、『詩・ことば・人間』という大岡信氏の著作で、実は大岡氏の本を読んだのは初めてということになります。

で、そのゲットした本の中に引用されていたのが・・・

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「年をとる
それはおのが青春を
歳月のなかで組織することだ」

という、フランスの詩人ポール・エリュアールの一節。

おもしろいもので、これをいくつかのSNSにポストしたんですが、facebookでカナダの方から、

C'est tellement vrai et on le comprends seulement en vieillisant!🥰

"growing old means organizing youth over the years"


と、コメントをいただきました。

意味的にはよく似たものです。

これ、一両日中にでも書ければと思います。(「書いてみるね〜」って返信しましたので。w)

あ、ちなみに、自分はポール・エリュアールのことは何も知りません。^_^;

 

本といえば、去年は全く読めなかった一年で、かなり悔しい気持ちでいてます。
20冊くらいだったと思います。
その分、確かに情報取りで活字自体は莫大な量を読んではいますが、やっぱり「本」とは違いますからね。

なので、今年は70冊を目標にして、隙間時間があったらすぐに本を開くようにしてきてます。
今のところ、新年明けてから6冊読了で、目標到達にはヤバイ感じですが、気合満々でページをめくってます。笑

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机の左側に積み上げてあるので約30冊。
この右側に同じく約30冊。その前に7冊。
とりあえず、これで今年の分?笑

頑張って読むべ🎶

 

 

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2023年12月17日 (日)

そして、シモーヌ・ヴェイユ

めずらしく、カリグラフィー自分書きの連チャンになります。

今回は、シモーヌ・ヴェイユの言葉から。
ほんとは、他に書きたい文章はあるのですが、ちょっとまわり道です^^

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「たとえ、歳月を重ねた奮闘努力が、少しも報われないと思えるときでも、いつの日か、その努力にちょうど見合うだけの光が、あなたの魂にみなぎるのです。」

↑ これくらいに云えるだけの努力をしないさいよ、工藤くん!と云われているような気がしてます。

自分、文字は全く大したことありませんが、レイアウトは好きで、こういう長い文章を書くときも一発書きでできてしまうのですが、これは2回も失策をしてしまいました(^^;;

まあ、久しぶりにちょっと長い文章やったので…なんて言い訳ができないこともないのですが、それを云っちゃーおしめえだよ(笑)ですもんね。
なんし、次に別のんを書くときは、大きく気合い入れて書いていきます。

・カッパープレート体
・ハント101
・朱墨
・コピー用紙

いつもコピー用紙で書いてます。
あ、でも、安いのんではなくて、コピー用紙にしてはお高いのを使うようにしてます。
やっぱり廉価版になるとインクが滲みやすいんです。
こういうことも、試しておくとプラスになるものです。

この文章、やたらと「f」が多く出てきます。
なので、練習書きをするにはいいかも。
特に、日本レタグラフィー協会のカパレタ認定講師の方々には、おすすめかもしれません。
(と云っても、レタグラさんでこのブログの読者って居てないでしょうけど…笑)

なんにしても、練習は、「ちょっとハードル高いかも?」って感じるものをセレクトして挑戦するのがいいのです。

インスタにアップしたものには書いておいたんですが、シモーヌ・ヴェイユって、かのトロツキーと激論を交わしたことがあるんですよね。
結構有名な話なんですが、哲学的天才でもある彼女にしてできることかもしれません。

シモーヌ・ヴェイユは早逝の人で、それがほんとに惜しいと感じていますが、実は彼女は書籍を残しておらず、いろんな断片やらメモやらの書き遺しを託された友人が、箴言集として出版したのがシモーヌ本の始まりなのだそうです。
(この辺りは、Wikiに書いてます)

自分は、7冊手元に持ってますが、なんしか難解な内容でして…
が、その中で、一番読みやすいのが、冨原眞弓さん編訳の『ヴェイユの言葉』(みすず書房)。
新装版が出ているみたいですが、工藤のは2003年に出版されたもの。

あちこちに付箋が貼り付けてありまして、その中から少し引用書きをしてみます。

・怠惰の誘惑(ずば抜けて強い)
  時間の流れのまえで怖気づくな。しようと決意したことを延期するな。

・わたしたちのうちなる悪が絶対的な善をおおい隠す。思考が悪との闘いにむかうかぎり、滅ぼした分量だけ悪はふたたび生い茂る。願望をこめて、悪をこえて、無限に隔たった善へと思考を方向づける。

・つまらぬことをおこなう者はみな光を憎む」(「ヨハネ」3・20)。悪ではない。つまらぬことである。些事にかかわりあう者は光を憎む。

・人間の魂と運命のかかわりにおいて、それぞれの魂がみずから固有の運命をどの程度まで形成するのか、仮借なき必然は転変する運命に翻弄される魂のなにを変質させるのか。、徳性と恩寵の効能はなにを無傷で守りうるのか、こうした主題似合って虚偽はたやすく、魅惑的である。傲慢、屈辱、憎悪、無関心、忘却や無知の願望、いっさいは虚偽への誘惑に貢献する。特に不幸の正確な表現ほど稀なものはない。不幸をえがくとき、おおむね失墜は不幸な人間の生まれながらの宿命であると信じる振りをするか、魂は不幸を担っていても不幸の刻印をうけずにすみ、不幸に固有のやりかたで思考を変質させられることもないと信じる振りをする。

・歴史とは下劣さと残虐さで織りなされた一枚の布であって、ところどころまばらにわずかな純粋さが輝きを与えているにすぎない。なぜかというと、第一に、人間達のあいだで純粋さは稀にしか散見されず、第二にその稀なる純粋さの大部分は隠されているからである。ゆえに、たとえ間接的な証言であっても探索せねばならない。

・社会問題を避けて通ることはできない。おのずから生じる第一の義務は嘘をつかないことだ。
 嘘の第一の形態は、抑圧の隠蔽つまり抑圧者への迎合である。この手の嘘はまっとうな人たちによくみうけられる。日ごろは善良で誠実な人たちなのだが、自分が嘘をついているとは思ってもいない。踏みつけられているほうはなにも感じず、踏まれているほうが痛感するというぐあいに人間はできている。抑圧された人びとの側に身をおき、かれらとともに感じずして、この嘘に気づくことはあるまい。
 嘘の第二の形態は、扇動(デマゴギー)である。
 右(上のこと)のふたつの過誤は重大である。
 まっとうな人たちもこれらの過誤をおかすとはいえ、さらにおぞましい特徴が加わることもある。たとえば第一の嘘でいうと、抑圧者に重ねる幇間がいる。いつの世でも、権力者は探せば流血をひきおこす者たちを誉めへつらって一生をすごす連中を探し出せる。ジャーナリストの十人中九人までが、抑圧者のために嘘をつく職務を嬉々としてひきうける。

ちょっと長いのとかもありますが、ここに引用したラストの分なんて、まさに今の日本そのものです。

シモーヌ・ヴェイユ。
いいきっかけになったので、このまま『ヴェイユの言葉』を再読しておこうと思います。 

 

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2023年12月10日 (日)

エマソンの言葉

自分書きカリ話題。
どれくらい久しぶりなのか・・・^^;

書いてみました。
1行ものですが。

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Ralph Waldo Emerson の結構有名な言葉になります。
エマソンならずとも、似たようなことを云われている方々はかなりおられますが。

”Fear always springs from ignorance."

「恐怖はいつだって無知から生まれる」

カッパープレート体〜基本書き
ハント101
開明朱墨液
紙はコピー用紙…(^◇^;)

2023120801

↑ こっちは下書き練習…っていうても、一回しか書いてませんけど。笑

「無知から恐怖が生まれる」ならば、学んで知ればいいだけのことだと、とりあえずは思う。
少しでも学べば、少しでも恐怖から遠ざかることができるんだとも。

この3年半というもの、この言葉そのものの世界やったように思います。
「恐怖」に苛まれれば、人間は固まってしまって思考停止になってしまうもので、そこからは周りを見ながら、周りに合わせて&意味もわからずに流されていくだけ。

だからこそ…
・疑問を持つ
・自分で調べる
・自分の頭で考える

これが絶対に大切だと思うんですよ。

でないと、ただ騙されて、いいようにされてしまうだけ。
今、自分の立ち位置が、実は引き換えしようのない崖っぷちにあるってことに気づいている人たちって、ほぼほぼ居てません。
ほんとに、何もかも終わってしまうよ。
来年はかなりひどい月日になりそうな感です。

ま、それはそれとして、エマソン。
エマソンといえば、アメリカン・ルネサンスの雄ですよね。
エマソン、ソロー、ホイットマン。
それからホーソンにメルヴィル。

特に前者の3人は、自分も大好きです。

エマソン『エマソン論文集』上下
ソロー『市民の反抗』
ホイットマン『草の葉』上中下

この3品は、できたら高校時代くらいに読んでたらよかったんやけどな〜と、今になって思ったりします。
ほんとは今年中に読み返したかったんですが、全く時間が取れずで。
来年はなんとか再読したいですね。

後者2人の作品は、それぞれ有名な『緋文字』『白鯨』がありますが、自分は読んだことないんですよ。
実は、エマソンとこのお二人、それなりに仲が良くないというか相入れない間柄でありまして、そんなこともあって読んでないという…^^;

もし、機会があれば読んでみてもいいかなと、一応は思ってます。特に『白鯨』。(一応かい!笑)

アメリカン・ルネサンスは、輝かしい時代ではありましたが、それほど長続きしませんでした。
ここから南北戦争へと続くんですが、その辺りに前後して出てくるのが詩人ロングフェロー。
この人も好きです。

こういう歴史の流れって、掘り下げれば掘り下げるほどおもしろい。
元々は、世界史も日本史も、結句、暗記ものっていうものでしかなかったのと、歴史の中での繋がりとか実際のところの因果関係とかは、かなり端折ってたり、薄めてたり、歪めてたりされているので、つまらんのですよね。

今になって、特に近現代史(学校では時間切れでザザ〜っと流すだけで終わってしまうところ)なんて、突けば突くほどおもしろいのです^^

とりま、隙間時間見つけて、また探索をしていこうと思います。

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2022年4月10日 (日)

桜も見納め

ほぼ仕事ばっかりになった3月と打って変わって、4月はスタートから順調に休みが取れています。
が、先月のうちにできなかったことのツケがしっかり残っているので、折角の休みも、ほぼ、それの対応に追われているのが現状^^;
ま、いつも、こんな感じかな。笑
それにしても、やること溜まりすぎです。。。

そんなこんなで、満開の桜を観に行くなんてことはできないままになってしまいました。

「今年の桜は今年しか観れない」

これって別に桜に限ったことではなくて何でもそうなんですが、事「桜」に関しては、その思い入れは大きいです。

そんな中、先月末の宇治ではないですが、たまたま出向いた現場で遭遇することのできた桜がこちら。

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勤務先の出張所の近くに神社があるんですが、そこの桜です。
毎年、チラ見だけでもするのを楽しみにしているんですが、神社だけあってかなり立派。
今回、たまたまこの機にこちらに来れたのが、何よりある意味ラッキーでした。
時間の制約もあって、滞在時間は10分もなかったんですが、しっかり写メもできてよかったです^^

この日は5日。
そして今日は、もうもう10日。早いです(^^;;

そうこうするうちに、もう八重桜の時期になりますね。
ゆっくり堪能する時間も折も持てそうになさそうな感じなので、機を見て制すではないですが、即対応できる心の準備だけは日々持っておきたいと思います。

 

話は全く変わりますが…
最近、現代史に凝ってます。
特に1900年以降のアメリカの権力構造とかの、いわゆる教科書には書かれてこなかった歴史。
というより、書けない史実ですね。

本はできるだけ買わないように買わないようにと思いつつ、3月は5冊購入してますが、全て現代史。
基本、歴史に興味がなかったのが、例の学術会議問題から興味を持って、加藤陽子氏の本を1冊読んだことがきっかけです。

いろいろと読んで、また、あちこちから情報を分け入って取り込んでいる日々です。
その過程で思うことは、たくさんの情報が入り乱れている中、この国で発信される情報は、どこかからの一方的なものやらその焼き増しものがほとんどで、そこに精査とかクロスチェックとかってことがないということ。
それにもかかわらず、「それ」をベースにして(つまり、「それ」を是として)、あれこれと施作・対応をして(させられて?)しまっていますが、そんなことしてたら、行き着く先は暗闇でしかないのでは?と思ってしまいます。

「知る権利」ってことが云われても、情報を発信する側は「報道しない権利」とかってことを出してくることもあるし。

それならば…
云われ出してかなり久しいですが、「メディア・リテラシー」というものを、こちら側がしっかり身につけて、情報を選り分けて、探求していくしかないのではないかなと思います。

「今」に続く現在進行形の現代史を学ぶには、堤未果先生がよく云われる「歴史と人事とお金の流れ」を読み解く…ってこと。
そこから見えてくるものは、かなりおどろおどろしいものばかりですが、「知る」ことからしか始まらないことがあるのも事実。
毎日、隙間時間を見つけては学びの日々です。

あ、特に大切なこと。
テレビは観ない方がいいです。「フェイク」の海です。うちは無いので助かってます^^;

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2020年5月30日 (土)

文字は劣化する…の巻

カリグラフィーは、ご存知の通り「手書き文字」。
「手書き」なので、さっき書いたのと全く同じものを、5分後に全く同じように書くことはできません。
でも、それが「手書き」のよさ。

色が擦れることもある。
同じインクを使ってても、濃淡が出る。
書いている段で、CGでは出せない色合いになることもある。
何より、書いた文字の中に「成長」を見ることができることがある。(「成長」がないこともある…爆←工藤あるある)

それぞれのカリグラファーの方が、それぞれ自分の思いの中で、文字を綴ってはると思うんですね。
工藤には工藤の思いがあって、書き続けています。

一番の「思い」は、カリグラフィーは「表現」だってこと。
ビジネスとかではなくアート。(注を入れるまでもありませんが、作品を売らないとかってことではないですよ)
どこかで書いたことかもしれませんが、自分は、フローリッシュとかはほとんどしないんです。
しないことにしているんではないです^^;
する時もありますので。

アルファベットの持つ「個性」みたいなもの、一つ一つの文字が本来持つ「美しさ」を、どこまでシンプルに引き出せるのか…
それをベースにして、色やらレイアウト等々と掛け合わせをして、伝えたい「文章」を綴って表現をしていく。

結構しんどいことやし難しいってことは分かってはいるんですが、自分のカリのベースは「そこ」に軸足を置いてます。
それもあって、イタリックが多いのかも?笑

と、御託を並べて偉そうに書いてますが、先日、かなりショッキングなことがありました。

Facebookをやっていると、時たま、タイムラインに「〜年前の〜」とかってのが出てくるんですね。
過去とか後ろとかを振り返るってことのほぼない工藤は、大概、「お、懐かし♪」で終わります。
が、先日は違いました。

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これ、8年前の作品(だそうです)。
一瞥して、次の瞬間には見入ってました。
自分の作品ながら、何気に引かれるものがある…

実はそれがめちゃくちゃショックやったんですよ…

題材は、芥川賞作家・宮本輝先生(輝先生と呼ばせていただいております^^)の中編「夜桜」(新潮文庫『幻の光』所収)の最後の方の一節の英訳もの。

アメブロには出しませんでしたが、こちらでは載せておきますね。

Hemmed with blue light, the enormous cotton-like clusters of pale pink blossoms seemed to float in the air.
They appeared as a bewitching living organism that would diminish gradually, tricking away.
Since sleep seemed out of the question, Ayako decided to spend this strange night staying up wiyh the cherry trees.

膨れあがった薄桃色の巨大な綿花が、青い光にふちどられて宙に浮いているように見えた。ぽろぽろ、ぽろぽろ減っていくなまめかしい生きものにも思えるのだった。綾子は到底眠れそうにないこの不思議な夜を、桜とともに起きていようと決めた。

工藤、初のギルド展出展作品がこれ。
切り絵とのコラボ作品にしたんですが、こちらの手違いもあって、その切り絵部分が一部破損で戻ってきて、書き直そうと思いつつそのままになっています。
↑の写真は、ここから「切り絵」コラボをどう入れようかと考え中に写メったもの。

で…
何がショックやったかというと(やっと、本題…^^;)

ここに、自分が書いた一つ一つの文字に込めた「思い」の強さとか重さが、まるっきり「今」とは違うってこと。
技量のことではないんです。
「気持ち」の問題。

今月の「母の日」に書いた作品と比べると如実にわかります。

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これ、ぶっつけ本番で、下書きも練習もなくて、レイアウトもぶっつけで書きました。
失敗もしてないし、一応見た目も安定してて、特に問題もない…ように見えます。
とりあえず、「夜桜」書いたものよりもベターな文字でもあります。

でも、大きな違いが…
8年前に書いた作品の方が、文字一つ一つに込めた思いの「深さ」とか「熱さ」が強いんですね。
まるきり違うって云うてもいいくらいです。

これが、めちゃくちゃショックでした。

あれから8年経って、文字に対する姿勢というか向き合い方というか、そういうものが確実に劣化している。
それを知ること・理解することができたのは、これはこれで幸いやったと思いながら、今、仕切り直しをしているところです。

一つ云えることがあって。

先月末から、キングコングの西野亮廣さんの voicy 発信やブログ、それからネットサロン(こちらは有料)に接するようになったんですが、特にここ数日のその西野さんの発言やら文章が、今回のこのショッキング事件に連れてきてくれはったって思えるくらいにドンピシャでリンクするようなものが多かったんです。

こんなこともあるんですね。

そのタイミングの妙に、驚きつつ、西野さんに感謝しています。

 

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2019年11月 3日 (日)

ウィークリーカリグファフィー 40&41

先週書いたもの、アメブロの方にはアップしたんですが、こちらへ上げる時間が無くて…
なので、抱き合わせで。

 

まずは、40から。

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Robert Browning の詩から。

僕は、敵に向かって背を向けることなく胸を張って邁進し、
暗雲に閉ざされても晴れることを疑わず
正義が敗れても悪が勝つとは夢想だにせず、
斃れるのは再起するため、
敗れるのはよりよき戦いを戦うため、
眠るのは目覚めるためと、固く信じていた男だ。

イタリック体。

行間がちょっと広すぎましたね。
ぶっつけ本番とはいえ、もう少し狭めてもよかったかもと反省してます。
失敗は成功のもと。
やればできると思うのです^^

 

そして、41。

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こちらはカッパープレート体で。

ロマン派の詩人・Victor Hugo の言葉から。
これは、小説『九十三年』からになります。

私が望むのは、精神に対しては自由を、心に対しては平等を、魂に対しては友愛を、ということです。
たくさんです! もう束縛はたくさんです!
人間がつくられているのは、くさりを引きずるためではなく、つばさをひろげるためなのです。

Hugo といえば、長編の『レ・ミゼラブル』や『ノートルダム・ド・パリ』が定番かもしれませんが、自分はこの『九十三年』がかなり大好きです。

↑ の訳文は稲垣晃三先生のもので、岩波文庫版やったかな?
自分の手持ちは、「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」全10冊というもので、ほぼほぼ辻昶先生の訳文。
ま、どちらの先生も、名訳ですけどね。^^

↓ これです♪

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一回通ししか読んでないので、年明けたらまた読んでみようかと…

と云いつつ、思い出したことが…
似たようなこと、結構書いてきたような気がします。

「また読んでみようと思います」(^_^;)
「そのうち、また読んでみようかと」(⌒-⌒; )

来年…どうなることやら…

 

ちなみに、10月の読書は6冊でした。
目標マイナス4冊。
今月は頑張ります。

 

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2019年8月12日 (月)

ウィークリーカリグラフィー 36

本来なら「37」であるべきなんですが、ゴニョゴニョ…以下略…ということで^^;

敢えて云えば、今月は頭から、読書と思索にふけってました…と云うことなんです。お許しを。。。

ともかく、毎日暑いですね。
それしか云う事ないん???ってくらいに、顔を合わせれば、みんながみんな、同じセリフ。

酷暑の日々ですが、それでも空はとても賑やか。

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↑ は先週の空。彩雲と虹。こんな出来方もするんですね。
彩雲は、8月に入ってから、もう4回見てます。

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↑ これは今日見た彩雲。右下あたりにあります。わかりにくいんですが。

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↑ そして、今日の夕焼け。ここんとこ毎日のように、夕焼けがキレイです。
ただ、何気に、素直にそのキレイさに喜べない気分があって…
何故なのかはわかりませんが…

 

さて、ウィークリーカリです。

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去年やったかにも書いた同じフレーズ。
マザーハウスの代表権チーフデザイナーである山口絵理子さん(こちらのリンクは、Instagram になります)がよく使われる言葉。

笑顔を絶やさないこと。
歩き続けること。

実は、大切な友人の一人が大きな病と闘っています。
頑張れなんて絶対に云えないし、云いたくないし。
でも、どこにいても応援しとうよってことを伝えたくて、先日、この1枚を書きました。
夜中やったんで、翌朝一番にメッセに写メ添付で。

笑顔を絶やさないって云っても、歩き続けるって云っても、泣くこともあるし、悔しい気持ちになることもある。
疲れたら休むことも必要やし、時々、後ろを振り返って来し方を見てみることも大切。
その上で、「あきらめない」ってことかな。

祈ってます。

 

ところで、マザーハウス山口絵理子さん

明日13日に、5冊目になる本が出版されます。

Third Way 第3の道のつくりかた

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↑ は、これまでに出された4冊。
新刊が出るってことで、7月末から1冊目より読み返しをさせてもらってます。
現在4冊目に入ったところ。
ちょうどいい頃合いです^^

超オススメです^^

裸でも生きる
裸でも生きる 2
自分思考
輝ける場所を探して

 

世間はお盆休みでしょうか。
工藤のところは、仕事柄、そういうのはなくて、交代で夏休みを取る…という感じ。(たまたま、昨日今日は連休でしたが)
自分は9月に取ります。
ちょっとウロウロして来ようかと。笑

台風が来てます。
みなさま、くれぐれも気を付けてくださいね^^

 

 

 

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2019年7月11日 (木)

ウィークリーカリグラフィー 33

ゾロ目の33回目です。

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ソクラテスの言葉。

「ねたみとは、魂の腐敗である」

先に、アメブロの方にも書いたことなんですが、「嫉妬」とか「妬み」ときて、すぐに思い出すのが、哲学者 三木清氏の「嫉妬について」っていう小論。
これ、しっかり読んでおくようにと、随分前にとある方から云われ、すぐに本を買いに行って読んだものです。
哲学者だけあって、やっぱり難しい文章が並んでいます。
が、この「嫉妬について」だけは、ものすごくわかりやすいんです。

よかったら、読んでみてください^^

  ↓ ↓ ↓

 

その「嫉妬について」のなかに、こんな一文があります。

嫉妬は自分より高い地位にある者、自分よりも幸福な状態にある者に対して起る。だがその差異が絶対的でなく、自分も彼のようになり得ると考えられることが必要である。全く異質的でなく、共通なものがなければならぬ。しかも嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。嫉妬がより高いものを目差しているように見えるのは表面上のことである。それは本質的には平均的なものに向かっているのである。この点、愛がその本性においてつねにより高いものに憧れるのと違っている。

もう一つ。

自信がないことから嫉妬が起るというのは正しい。尤も何等の自信もなければ嫉妬の起りようもないわけであるが。しかし嫉妬はその対象において自己が嫉妬している当の点を避けて他の点に触れるのがつねである。嫉妬は詐術的である。

「嫉妬」「妬み」のない人間ていてないとは思いますが、それが出る度合いっていうのは、千差万別なんだと思う。
ほとんど「何処吹く風」みたいに飄々としてはる人も居てますしね^^
そういう人を見るにつけ、すごいな〜って感心してしまいます。

「嫉妬」「妬み」を巡っては、自分も結構絡まれてきています。(笑)
きっとそれは、昔々の自分が成してきた「嫉妬」「妬み」が、形を変えて戻ってきたんでしょうね。
人間…人さまに成したことは、必ず返ってきますから。

そういう視点を持つことができたのは30代の頃。
これは、幸せやと思っています。
また、それを教えてくださった方にも感謝。

そうだ。
「感謝」といえば、先日、北海道の植松電機の植松努社長がブログに書かれていたことがあります。

  感謝の気持ちのない人たち。

リンク先に ↑ ↑ ↑ に飛びます。こちらも、よかったら読んでみてくださいね。

 

今日はカリグラフィーの出張レッスンで、伊丹の方へ行ってました。
往路・復路ともに雨に降られず、荷物の多い工藤は助かったのであります。^^
また後日にアップさせていただきますね。

で、今、大雨です・・・

早く梅雨明けしますように…

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2019年5月30日 (木)

「ジャパンあるてぃすと展」終了

今月の24日(金)から開催されていた、

「ジャパン あるてぃすと展」が、昨日、無事に終了の運びとなりました。

会場となった、八尾市恩智にある「茶吉庵」には、連日多くの方々が来場され、延べで300人を超えたとのこと。
工藤のカリグラフィーの生徒さんたちや、友人知己も行ってくれてまして。
感謝です♪

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今回の作品展、来場者に投票用紙が配られ、そこにお気に入りの作品を3点記載し投票。
ラストデーとなった昨日は、各協賛団体からの賞とともに、その集計&順位発表、そして表彰式がありました。

ちなみに、搬入で久しぶりにばったり会えた堀口真司くんは、4位入賞。
おめでとう♪(名前のところをタップ or クリックしたら、彼の作品が見れます^^)

併せて、facebookで友人にしていただいている書家の浅田信子(雅号は「麗光」)先生は、「八尾市長賞」を受賞されており、昨日、リアルで「初めまして」のご挨拶をさせていただきました。
滅多に顔出しすることのない工藤ですが、麗光先生と作品の前でツーショットさせていただきました^^♪
作品は ↓ です。

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「龍」って文字をよく書かれるんです。
それに、日々、あちこち飛び回っておられて、ものすごいバイタリティー溢れる方。
お会いできて嬉しかったです。

今回の展示会は、特に、「茶吉庵」オーナーの萩原浩司さん、そして濱谷宗慎さんには、最初から最後まで本当にお世話になりました。
あらためて、感謝申し上げます。ありがとうございました。

とにかくおもしろい展示でした。
若い作家さんたちを中心にしつつ、いろんなジャンルの作品たちが集結。
築250年という古い家屋に溢れるとてもいい「気」が、それぞれの作家さんたちが持ち寄った「気」と融合して溶け合って昇華したような…

「あるてぃすと展」は、昨日で終了となりましたが、この「茶吉庵」では、今後も興味深い企画や展示が続きます。
要チェックです♪

 

さて…
昨日は堀口くんと行動を共にしてたんですが、会場からしばらく山手の方へ上がっていくと恩智神社があります。
表彰式まで時間があったので、二人でそちらへ行ってきました。

↓ 茶吉庵のすぐ前にある鳥居。
もともと、この辺りまで、昔は海だったそうで、この鳥居は海用の様式なんだそうです。

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↓ 入り口

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↓ 写っているのは堀口くんです^^

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↓ こちらは裏側

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↓ 龍好きの工藤なのです。

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↓ 木漏れ日がきれいで…

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↓ 入り口へ向かって降りていく階段。
何気に、宮地嶽神社を思い出しました。

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昨日はともかく、爽やかな一日でしたよね。
工藤たちが通る道道には、チョウチョが舞ってたり。

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あ、工藤の作品については、また後日にアップさせていただきます。
また、チョウチョですが…笑

 

今月は今年一番の忙しさが続いた日々でした。
本も、10冊は完全無理やから、せめて7冊くらいは読みたいな〜と思ってましたが、全然・・・
終わってみたら、4冊が精一杯。
その分、来月はしっかり10冊読もうと思っています。

6月からは、地に足つけて作品作成に勤しんでいきたいです。

 

 

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2019年4月29日 (月)

ウィークリーカリグラフィー 25

通常ペースでいけば、年間で52回になる「週一ペース」
そう考えると、2年で約100回。
今回は、その4分の1まできたことになるんですね。

きっとどこかで変則になるかもしれませんが、無理をすることのないようにしつつ、まずは50回目を目指して、また訥々と書いていきたいと思ってます。

工藤の文字って、それほど大したことなくて、当人もそれをしっかり自覚してます。
が、それでも、どういうわけか、「工藤の文字が好き」と云ってくれる方々がたまにいます。
嬉しいことですよね^^
それを励みに、少しずつになりますが精進していきます。

 

さて、週一カリの25回目。

今回はガンジーの言葉。

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「合理主義者はあっぱれである。しかし、合理主義が全能を主張する時には、ぞっとする化け物になる」

20世紀は、所謂「急進主義的イデオロギー」が猛威を奮った時代でもありました。
特に、ボルシェビズムの偏狭さ・独善主義は歴史が証明しているところ。

ガンジーのこの言葉を、「そのアキレス腱をいち早く見抜いたもの」と言及した人がいます。

ガンジーの基底にあったものは、どこまでも「漸進主義」。

「善いことというものは、カタツムリの速度で進む」
「非暴力は成長の遅い植物である。しかし、その成長はほとんど目には見えないが、たしかである」
「私は、手に負えない楽観主義者である」

等々の言葉が、それを確かに裏付けているように思います。

物事が急進的に進む・進ませれる・進まされようとしている時、そこにあるのは、やっぱり「偏狭」であり「独善」であるんではないかな。
歴史は繰り返すという「愚」の無きことを祈りたくなる昨今です。

 

さて、読書の方ですが…
今月も10冊を目標にしてきました。
ペース的に9冊で終わりそうやった感なのですが、なんとかギリギリでクリアできそうです^^
おまけに、今月10冊(となる予定)の半分の5冊は、宮本輝先生の作品たちの再読 ♪
輝先生の作品、月に2〜3冊くらいは読めるものの、5冊はかなりかなりの久しぶりになります。
そういう意味では、4月は変則な「一ヶ月」やったかも…笑

ちなみに来月は、作品展への出展があるので、少しペースダウンすると思います。
7冊くらいかな。
ま、ぼちぼちいきます^^

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