ここんところ、そう、それこそ一週間になりますが、書いても書いても、
「なんか違う…^^;」
っていう日々でして。
カリグラフィー、特にカッパープレート体っていうのは、「一日練習を休むと三日遅れをとってしまう」って言われているくらいなので、毎日書かない日はありません。
これ、何年も前に濱田先生(mojinokakerabo主催)から云われたことで、それ以来、忘れたことはありません。
といっても、もちろん、全く書かない・書けない日はありましたよ。
でも、そんなこんなの日々ながら、どれだけしんどくても、一行でも書くっていう思いを持っての日常にしてます。
イタリックとかになると、まだマシ(マシって、何がマシやねん…^^;)なんですけどね。
なので、この一週間は、そんな中でも、カッパー、or、カッパー+イタリック、を繰り返しつつ、書きたい文章・詩句を綴ってました。
で、昨日の午前は、半年ぶりくらいの伊丹カリグラフィー教室で、なんか、そこで吹っ切れたような🎶
ちなみに、昨日の教室から年度も変わったし、その他諸々の事情もあって、これまでの神津交流センターから新伊丹にある「こらくる」ってところへ変更。
明るくて、子供たちの声が賑やかで、めっちゃフレッシュなエネルギーに満ち溢れた場所でした。
主催の麻由里さんには、いつもいつもお手数・ご配慮をいただき、感謝です。
ありがとうございます。
話を戻しまして、「こらくる」から戻ってきて、その吹っ切れた感のまま書いたのがこれ。
イギリスの詩人、ワーズワースの『草原の輝き』です。

Splendor in the Grass
Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
of glory in the flower, we will grieve not.
Rather find strength in what remains behind.
草原の輝き
誰も取り戻せはしない
草原が輝いていたあの頃を
花が満開のあの頃を
でも嘆いたりしない
それより強さを見つけよう、後に残ったものの中にある力強さを
レイアウト的にはあんまりよろしくないですね。笑
3行目と4行目を分けてしまいましたが、ここ、一行で書いたら、多分もうちょいよかったかも?と思います。
アホの知恵は後から湧く・・・です。
その分、ラストを一行で書いて底辺にしました。
ワーズワースといえば、「The Rainbow = 虹」の詩が有名。
日本人にも人気の詩ですよね。
カリグラフィーの作品でも、かなり書かれてきていると思います。
自分も、過去に何度書いてきたことか。
My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old
Or let me die!
The Child is father of the Man :
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
私の心は躍る、
大空に 虹がかかるのを見たときに。
幼い頃もそうだった、
大人になった今もそうなのだ、
年老いたときでもそうありたい、
でなければ、生きている意味はない。
子供は大人の父親なのだ。
願わくば、私のこれからの一日一日が、
自然への畏敬の念によって 貫かれんことを。
この詩は、ワーズワースが32歳の時のものらしく、ふと、その年代の頃、自分は何をしてたんやろ?って、ちょっと振り返ってみたりしてみました。笑
こういう詩がもっともっと読まれていく時代になればな〜って、いつもいつも思ってます。
為政者にしても、国に限らず大きな組織のリーダーの人たちに、詩心なり哲学なりが「ちゃんと」あれば、この世界はもっと生きやすくなるのではないかなって、いつも思っています。
DSの支配力は微に入り細に入り、とことんまで網羅されてしまっているのは理解してますが、それでも、いわゆる「東西冷戦」渦中(もちろん、これも創られたものでしたが)にあっても、「鉄人政治家」と呼ばれる国の元首たちはまだまだ居たんですよね。
今はてんで・・・^^;
哲学にしても、文学や詩文にしても、いいものが読まれなくなってしまうと、そこからの心の涵養はほぼ期待できないわけで、本来、そういう場に入るべきではないもの、つまり「権力」「金力」みたいなハードパワーものに取って代わられてしまう。
この日本ていう国の進路を決める頭のいい方々に、こういう体のソフトパワーを身につけてもらいたいっていう願望に身をやつしています。
文学や哲学の底知れない豊かさとか深みみたいな世界を知らないで、ただただ偏差値よろしく昇っていっても、人間一人ひとりの、人間の集団の動きの指向性とかはわからないものです。
小手先で誤魔化して、大事な結論先延ばしばっかりしてても、先行きは亡国でしかないのではないかな。
せめて、アーレントくらいは学んでほしいと思うものです。
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