桜も見納め
ほぼ仕事ばっかりになった3月と打って変わって、4月はスタートから順調に休みが取れています。
が、先月のうちにできなかったことのツケがしっかり残っているので、折角の休みも、ほぼ、それの対応に追われているのが現状^^;
ま、いつも、こんな感じかな。笑
それにしても、やること溜まりすぎです。。。
そんなこんなで、満開の桜を観に行くなんてことはできないままになってしまいました。
「今年の桜は今年しか観れない」
これって別に桜に限ったことではなくて何でもそうなんですが、事「桜」に関しては、その思い入れは大きいです。
そんな中、先月末の宇治ではないですが、たまたま出向いた現場で遭遇することのできた桜がこちら。
勤務先の出張所の近くに神社があるんですが、そこの桜です。
毎年、チラ見だけでもするのを楽しみにしているんですが、神社だけあってかなり立派。
今回、たまたまこの機にこちらに来れたのが、何よりある意味ラッキーでした。
時間の制約もあって、滞在時間は10分もなかったんですが、しっかり写メもできてよかったです^^
この日は5日。
そして今日は、もうもう10日。早いです(^^;;
そうこうするうちに、もう八重桜の時期になりますね。
ゆっくり堪能する時間も折も持てそうになさそうな感じなので、機を見て制すではないですが、即対応できる心の準備だけは日々持っておきたいと思います。
話は全く変わりますが…
最近、現代史に凝ってます。
特に1900年以降のアメリカの権力構造とかの、いわゆる教科書には書かれてこなかった歴史。
というより、書けない史実ですね。
本はできるだけ買わないように買わないようにと思いつつ、3月は5冊購入してますが、全て現代史。
基本、歴史に興味がなかったのが、例の学術会議問題から興味を持って、加藤陽子氏の本を1冊読んだことがきっかけです。
いろいろと読んで、また、あちこちから情報を分け入って取り込んでいる日々です。
その過程で思うことは、たくさんの情報が入り乱れている中、この国で発信される情報は、どこかからの一方的なものやらその焼き増しものがほとんどで、そこに精査とかクロスチェックとかってことがないということ。
それにもかかわらず、「それ」をベースにして(つまり、「それ」を是として)、あれこれと施作・対応をして(させられて?)しまっていますが、そんなことしてたら、行き着く先は暗闇でしかないのでは?と思ってしまいます。
「知る権利」ってことが云われても、情報を発信する側は「報道しない権利」とかってことを出してくることもあるし。
それならば…
云われ出してかなり久しいですが、「メディア・リテラシー」というものを、こちら側がしっかり身につけて、情報を選り分けて、探求していくしかないのではないかなと思います。
「今」に続く現在進行形の現代史を学ぶには、堤未果先生がよく云われる「歴史と人事とお金の流れ」を読み解く…ってこと。
そこから見えてくるものは、かなりおどろおどろしいものばかりですが、「知る」ことからしか始まらないことがあるのも事実。
毎日、隙間時間を見つけては学びの日々です。
あ、特に大切なこと。
テレビは観ない方がいいです。「フェイク」の海です。うちは無いので助かってます^^;
最近のコメント