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2026年1月28日 (水)

「違和感」の大切さと短文2つ

もう10年になるのか…と思ってしまいました。
(こんな時も、「時の過ぎゆく速さ」を感じますね)

この10年間、「あの人」はどんな思いで生きてこれらたのか。

世の中が、集中砲火よろしく、誰も彼もが一人の女性にバッシングをかけていた時がありました。

寄ってたかって「何か」が起こる時、自分はいつも一歩引いてしまいます。
シンプルに、何でそこまでするん?っていうのが、気持ちのベースにあって。

そういえば、小学生時代からそんな子やったな〜って。
つまりは「変わっている子」。
それは「大人」になってからも同じで、大なり小なり、世の中の現象を観てても「違和感」を持ってしまう現象がいくつもあって。
そんな時は、必ず一歩引いてしまう。

「変わっている」と、どうしても「排除」されてしまいます。
「みんなと同じではない」っていうことが、なぜ「排除」につながるのか、それも「違和感」の一つでありました。
きっと…みんな「怖かった」んでしょうね。
誰か他人「たち」と「違って」いるっていうことへの「恐怖感」だと思うんです。

「違う」っていうただ一つのことが「恐怖」を生み出す…というのか。

とにかく、そういう「変人」の自分なので、2020年の「コロ助茶番」の最初の半年はしっかり巻き込まれてしまってましたが、半年過ぎた頃から「何かがおかしい…」って思えるようになって、やっぱり一歩引いてました。

社内で「100人全員」がやったことも、ただ一人しないで通したのもその思いがあったから。

何しか「何かがおかしい」って。
ていうか、おかしくなかったですか???

話を戻して、10年前のその方のことは、連日、朝から夜中まで報道の渦中にあったと思います。
自分はテレビを持っていないのと、自身の持つ「違和感」が拭えなかったのとで、ほとんどの「報道」から距離を置いてました。

去年の12月からデジタルデトックスなんてものを始めたこともあって、この新年の最初の1ヶ月は、いつも以上に本が読めているんですが、その中の一冊が、たまたま件のその彼女のものでして。

人間て、自分の地位やら名声やら権威を守るためなら、人が一人、その人生を台無しにしようと、その人の命がどうなろうと、歯牙にもかからずに何の痛痒も感じずにいれるなんて芸当ができるんやなって、あらためて感じ入っています。
(もちろん、それだけではなくて、そのバックにはもっと大きな「力」があったであろうことは、しっかり想像できますが)

そこに群がる報道人たちにしても、まず「ナラティブ」ありきであって、「真実」なんてどうでもいい。
そんなところに「ジャーナリズム」の精神なんて微塵もない。

ジャーナリズムって何ですか?
スクープって何ですか?
ただただ「売れればいい」、ただただ「売れる記事を書いて、有名になれればいい」・・・
そんなトーンなんでしょうか…

「第4の権力」? 笑ってしまいます。

その彼女のことを一緒に話題にした大切な友人がいるのですが、その方も自分と同じことを云ってました。

「小保方さんは嘘をついてなんかいないと思う」って。

あれだけのバッシングの中、どれだけ死にたいと思ったかしれません。
それでも、自らの命を守り通して、今もずっと踏ん張って生きておられる彼女のことを、自分は敬意を持って陰ながら声援を贈らせていただきたいと思います。

そんなことを考えている時に出会ったのがこちらの二つの短文でした。


260127

上:ソクラテス 「自分を見つけるには、自分で考えなさい」
下:サルトル 「人生は、絶望の向こう側で始まる」

小保方さんの人生は、まだまだこれから。

お会いすることもない、単なる一般ピープルの自分ですが、彼女の人生の大いなる輝きが、「必ずや来たらん」ことを祈りつつ。

 

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