« 2025年8月 | トップページ | 2025年10月 »

2025年9月

2025年9月30日 (火)

今月は12冊!

何度か書いてきたことですが、今年は本を70冊読むぞ!と決めたものの、会社の引越しで2〜4月の3ヶ月は月に1冊しか読めてませんでした。

これが、かなり悔しくて、5月は巻き返しで9冊。
6〜8月は平均5冊。

それでも目標は遠い・・・^^;

なので、この9月は、隙間時間をフルに徹底的に使う!と決めて読んできました。
まとまった時間て絶対に取れないので、ただただ隙間時間を活用するしかありません。
でも、その決意?のお陰で今月は、終わってみたら12冊読めてました。
これもまた工藤の「やったらできる」シリーズです。笑

数字がどうのこうのではないんですが、目の前に何しか読みたいと思って積み上げた本が4〜50冊ほどあるので、この山も早く崩してしまいたいっていう思いもあります。(目的がよくわからない。笑)

「本が読まれなくなって…」と云われ出して久しいですよね。
一年に1冊も読まない学生さんもかなりいるくらいですから、活字離れが甚だしくて、今後のこの国の行く末も心配になってきます。

何より、ちょっと長い文章が最後まで読めない。
何より、日本語がじわじわと変容してきてしまっているのは、体感でも感じる今日この頃。

一抹の不安ですみそうもないなと、今の世相を掛け合わせても感じ入ってしまいます。

本ていいよ^^

人間はロゴスの生き物なんやから。

 

今月ラストに読んだのが、『対訳 ディキンソン詩集』でした。もう何回目なのかは忘れましたが再読です。

エミリー・ディキンソン。
アメリカの詩人の女性代表と云ってもいい方。

ちなみに男性代表といえば、ウォルト・ホイットマン^^

Img_6244

そのエミリー・ディキンソンの詩で有名なのが・・・

 

If I can stop one heart from breaking
I shall not live in vain ;
If I can ease one life the aching
Or cool one pain,
Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in pain.

もし私が一人の心の傷を癒すことができるなら
私の人生は無駄ではない
もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ
苦痛をさますことができるなら
弱った一羽のコマドリを
もういちど巣に戻してあげられるなら
私の人生は無駄ではない

 

ディキンソンの詩集の大部のものが欲しいんですが、まあ、難しいですね。
デジ本(英語版全詩集)はスマホに落としているので読めるんですが、解説が欲しい…^^;
そういう意味では、↑ の岩波文庫のは、とてもわかりやすかったです。

そんなこんなで、この1ヶ月は読書だけではなくて、何かと燃焼できたと思います。
燻り残りが少ない、自分としては珍しい1ヶ月であったかと。

来月も、また燃え尽きるまでワクワクしながら頑張るべ🎶

| | | コメント (0)

2025年9月29日 (月)

矢野暢著『衆愚の時代』・・・2

前回からの続きになります。

「世の中には、巧まずして人びとを感動に導く真実のドラマがありうる。そして、そのようなドラマは、人びとが全力を尽くして自分の使命をまっとうするという、いわば、ごく単純な心掛けから生まれるのである。逆に、人びとが自分の使命との素朴な取り組みを忘れたとき、この世の中からは、、感動を誘うドラマは消えてしまうことになる。」

↑ これは引用のみにしておきます^^

「正義というものは、誠実に生きる一人の人間のインテグリティに宿るのである。複数の正義の問題点は、そのことに目を閉ざすところにある。」

10人いたら「10人の正義」があるってこともいいますが、この国の場合、「同調圧力からの”多数”の正義」が跋扈したりするので、これはこれで手に負えないところでもあるかなって思います。

「誠実に生きる」ってこと自体も、今の時代、そのこと自体が堅苦しいってトーンで解釈されてしまって、そこから生み出されていく真摯な言動なんて、まさに目を閉ざされていってしまう。

そんな時、「一人の正義」なんて、徐にただただ叩かれ、潰され、黙らされてしまうことがあって、それがどれほどその「一人」を苦しい思いに突き落としてしまうことか…
そこにある「一人の正義」の生の声なんて、聴き入れる世界自体が貧弱になってしまっているし、その空気感も日々月々年々に増幅されてしまっているように感じます。

ついつい数年前からのこの国の光景は、まさにこの状況のまま。

それを「言い得て妙」に表現しているのが・・・

「現代の悲劇は、人びとが、多数の声であればあるほど正義や真理に近いという錯覚を持つところにある。多数の声が正しいことを語るときもあろうが、一人の声だけが正しくて、ほかの声がことごとくまちがっているということもありうるのだ。とにかく、少数者の道理が通らなくなりがちなところに、私は時代の精神の堕落をみる思いである。」

コロ助茶番で声をあげながらも…というより、声をあげたが故に酷い目に遭ってきた人たちが感じてきたことも、多分、↑ に近いことではないかと思ってしまいます。

いくら声を上げても、聴き入れてくれる人がほとんどいないわけですから。
家族でさえ、親族でさえ。
ましてや会社の同僚たちにしても同様。

システム的に創り上げられたものの力で、ネットの世界にしても蹂躙されてきてしまっているし、これからは情報一つにしても、それが正なのか邪なのかを国家が決めていくことになってしまっています。

情報は、権力が正邪をどうこうするものではなくて、いわゆる一般ピープルが自分の頭で考えて取捨選択していくべきもののはず。
国家が介入するということは、国家にとって都合の悪いことがそのまま「邪」とされてしまってこと。
この辺りのことを知る人は、まだまだ少ないわけで、そこにある種の絶望は感じざるを得ないですね。

「最近、ヒューマニズムが妙に観念的になり、理屈っぽくなり過ぎているように思う。ほんとうのヒューマニズムというのは、無心の行動主義であるはずなのだ。困っている人があれば、自分を犠牲にして救いの手をさしのべる、ただそれだけのことなのである。」

まあ、とにかく、この本の「終章」は、まさに「今現在」のこの国の状況にドンピシャです。

そうなることをまさか「予言」して書かれたものではないのはわかってはいますが、それでも、当時から結局のところ、その「種」はしっかり植え付けられて密かに育てられてきていたってことなんでしょう。

誰に? 笑     
そして、いつから? 笑笑

まあ、書き方としては脈絡が連鎖しにくいですが、だからこそ、自分は自分で感じた「違和感」に拘って、「徹して調べてみる」姿勢を、2020年の後半からとってきました。
その選択は間違ってなかったなって思っています。

 

「危機」というものが実は無いのに、「危機だ! 危機だ!」と「危機」を煽って、そこに「危機なるもの」を作り出すことで、その那辺に「危機管理」を紡ぎ出す「権力」っていう、これ、確か、岡庭昇さんの論理だったような。

なんにしても、「危機」を煽れば、そこに「恐怖」が芽生えるわけで、その「恐怖」を利用しない手はないんですよね、権力にとっては。
何のために?笑

「恐怖」はかなり使い勝手がいいのだと思います。

でも、その「恐怖」は、「神性」と「知性」を求める精神性があれば、実はクリアできるものと思うわけです。

「なにはともあれ、『神々』の不条理な渇きにたいして、私たちは醒めた目を向け続けなくてはならないのである。『神々』の陣営にその一員として身を投ずることは、いとも簡単なことである。なぜなら、いまどきの『神々』は、俗性と反知性主義とを栄養素とする、いわばほんとうの神性にとぼしい俗人集団だからである。それでいて、ふしぎなぐあいに正当性をもっているから厄介である。」

この本が書かれた時代と「今現在」は30数年も差がありますが、矢野教授の示された「神々の渇き」自体のベクトルは、ほぼほぼ重なっています。

この著作の最後の言葉が・・・

「私としては、複数の不特定多数の集団の正義より、自分一人の信念で生きようとする個の論理の正当性を信じたいと思う。『神々』が不都合だというつもりはないが、一人ひとりの個性の尊厳を顧みないところに、正義もなにも成立するはずはないのではないだろうか。」

ま、そういうことなんでしょうね。

賢くないですので深掘りはできませんが、それでもやっぱり、「知性」とか「知力」とかっていうものは、しっかり自分の中に育てていかないと、この先のやばい時代に、ただただ翻弄されてしまうだけだと思うわけです。

 

てことで、今月は11冊読めました!!!
あと1冊読めたらな〜と思ってます^^

| | | コメント (0)

2025年9月26日 (金)

矢野暢著『衆愚の時代』・・・1

昨日というか、日付が変わってたので今日ですが、全然寝れなくて(^^;;

布団入りしてから目が冴えまくってたので、寝れない時のいつものように「animal rescue」をFacebookで観てました。
そのうち眠くなるやろうと思ってたんですが、全く・・・笑

結局3時くらいに寝るのを諦めて、そこから1時間半ほど読書をしてました。

今日は起きたのは9時です。休みでよかったです。^^;

 

さて…
今のこの国の世相のことを考えてて、この本のことちらっと思い出したのがいつやったのか忘れてしまったんですが、多分1月くらい?かな?
思い出しただけではなくて、また改めて読んでみたくなったので、すぐに検索してAmazonで購入。
届いてから結構放置してたんですが、9月に入ってから読む気になって、先日読了。

最初に読んだのは、この本が出てすぐくらいやったと記憶しているので、多分、1990年です。
もう35年も前なんですね。怖いな・・・(^◇^;)

Img_5896

今回は忘備録として、ちょっと quote しておこうかと思います。

内容的には、今となっては情報自体が古くはなってきているのですが、矢野教授の文章はやっぱり読みやすくてわかりやすいなって、あらためて感じました。

いろいろあって、「不遇」のうちに亡くなられてしまいましたが、その件についてはここでは触れません。

アナトール・フランスの『神々は乾く』から敷衍しつつ、ニクソン辞任(これはもう、この本に書かれていることとは別格の事情によることは知っている人は知っている。以下、同様)、天安門事件、ベトナム戦争、アキノ大統領、アウン・サン・スー・チー女史等々のことが描かれています。

スー・チー女史の軟禁事件の時は、アムネスティー主催の釈放要求署名運動に携わったことがあります。

結構集めました。100数十名やったかな。

そのスー・チー女史については、まあ・・・です。^^; 今はね。
世間で云われていること(テレビで報道されていること)と実態は違うんだってことですよ。
才媛ではありますが。

それはそれとして、話を戻して矢野教授の秀逸な引用を少し。

★エリック・ホッファー★

「権力は腐敗すると、よくいわれてきた。
しかし、弱さもまた腐敗するということを知ることはだいじである。
憎悪、敵意、粗暴、不寛容、猜疑は弱さの所産である。
弱者のさかうらみは、かれらに加えられた不正から生まれるのではない。
むしろ、人間の無力感と無気力から生まれるのである」
(下線はブログ主。以下、同様)

★エリー・ヴィーゼル★

「広島を忘れてはいけないんだよ。
人間は、忘却と許しとでは、安易なほうに流れがちだ。
忘却の方が安易なのだ」

★司馬遼太郎★(司馬遼も、自分は「う〜ん・・・^^;」なんですが、それはそれとして)

「日本人がもつ、どうにもならなぬ特性のひとつは時流に対する過敏さということであるらしい。
過敏なだけではない。
それが時流だと感ずるや、なにが正義か、なにが美かなどの思考はすべて停止し、ひとのゆく方角にむかってなりふりかまわずに駆けだしてしまう。
この軽薄な、というより軽薄へのすさまじいエネルギーが日本の歴史を作り、こんにちを動かしていると考えられなくはない」

「この国の社会は日常、ブームでみちている。
あらゆるものがブームである。
……週刊誌の編集部も、ブームのたねがきれると、思わぬヒッソリ閑とした事象を掘りだしてホコリをはらい、いまはこれがブームですとさわぐ。
それが日本である」

「われわれは相当な奇国に住んでいることだけはたしかである」

なんか、2020年から今日までの光景を目に浮かびます。
次のパンデミというか、プランデミでも、きっとまた同じことを繰り返すんでしょう。

アクトン卿の有名な言葉に…

「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」

ってのがありますが、こちらの矢野教授の言葉は、フィリピンのマルコス政権が崩壊していく様をベースに、そこからの流れをわかりやすく綴られています。

「権力の腐敗は、必ずその権力の周辺に”愚”を培養する。
その”愚”は、さまざまな愚行となってあらわれ、まわりまわって権力の正当性を損ねていくのである。
そして、やがて、その権力は、自らが培養した”愚”のために滅んでいく」

全部で十章からなるこの書籍。
多分、初読みの時もそうやったと思うんですが、終章が一番、自分には響きます。

この「終章」、4項から成ってまして、第1項のところに、上記に引用の司馬遼太郎さんの言葉が引用されてました。

なので、以下、第2項から引っ張ります。

第2項は「反知性主義の横行」

所謂「かたい本」離れからくる硬派出版社の低迷、そしてマスコミの権力化した姿勢。純文学も読まれなくなっている…等々と言及されていますが、この流れって、ずっと続いて、さらに今もって現在進行形ですよね。

ほんとに本が読まれない時代になってしまいました。

自分なんかは文学が好きやし、かたい系の本も好きなので、フォロー中のブログで本が紹介されてたりすると、すぐにAmazonへ走ります。
たまに書いすぎてしまうこともありますが、先月みたいに・・・

 

矢野教授は綴ります。

「『反知性主義』という、いやな言葉が頭をかすめて消える。知性に価値を認めず、むしろ人間の欲望や感覚におぼれ、流れていくのを許す風潮、つまり『反知性主義』と、日本人は久しく無縁であった。日本をここまで導いてきたものはある種の知性主義であって、『反知性主義』的な傾向は、たとえ芽生えたとしても、社会の空気によって未熟につみとられたのである。

しかし、日本の全体が変わってしまった。日本人が皮膚感覚だけで生きるようになったというべきか、抵抗感のない雰囲気が社会を満たしてしまっている。知性との緊張、倫理との緊張などまるでなくなってしまった。古き良き日本は、もう消えていっているのである。

まあ、昭和40年代くらいまでがギリギリ「知性」で成り立っていたのかも知れないですね。

続いて・・・

「世の中が『反知性主義』に流れたとき、人びとは、実は未来を失うことになる。うたかたのあぶくのようなざれ事だけが世を満たし、それをもてあそびながら、日々気楽に生きていくとき、人々は充実したいまはもてるだろうけれども、未来を持てなくなっているのだ。いまの日本人は、そこのところにまるで気がついていない。」

「知性主義」なるものがまだまだ世に介在してた頃なら、あの2020年からのコロ助茶番も、今よりマシな流れで受け止められたんではないかな…と思ってしまいます。(甘いかな?)

「知性」というか「知」(=知ること、知識)があるなら、そこから「考える」っていうところへ多少なりとも波及効果はあるわけで、そうなれば、というか、そうなっていれば、いくら同調圧力の強い国といえ、ここまでの為体までにはなってなかったんでは?と考えるものです。(が、これも甘いかな?)

「ただ、悲しいことに、人間は、『現実』とはなにかを思い惑わないままに現実を知りたがる奇妙な願望をもっている。それは、ほとんど、本能的ともいえる願望である。それは、極端まで行くと、スキャンダル報道にむらがる、まったく空しい〈現実主義〉にまでいたってしまうのだ。」

これぞ、そのまま、この瞬間にも通じることだと。

スピンに振り回されていることを知らずにスピンに絡め取られて、大切な事実を観ること・見抜くこともなく、ましてや「考える」こともないというこの国の「現実」を目にするとき、少なからず自らに「違和感」を持てた者からするなら、「世の末」の予感が限りなく現実に近いことを感得するんではないかな。

で、その「違和感」を言語化して発するなら、今度は逆に同調ベースの「大違和感」という大きな流れから、弾き飛ばされてしまうという構図。
弾き飛ばされるだけならまだしも、異質扱いってとこまでいってしまう。
それって、もういわば「潮流」のような大きなものになっている感を受けてしまいます。

元からして日本人というのは、「長いものに巻かれる」式のベースがあるわけなので、「そこ」に違和感を持つのか、「そこから」違和感を持たれるのかってベクトルなのだと思います。

あ、それともう一つ。

自身が「知らないこと」を馬鹿にするってこと。
いやいや(^◇^;)
知らないなら、知らないで通せばいいものを、そうではなくて頭から馬鹿にしてしまうってどうよ?って思うんですよ。
「認識」なくして「評価」は不可なはず。
知らないなら調べればいい。これは自分のベースです。

とりま、今日はここまで。
この項、続きます。

愛想なしもなんなので(笑)、写メを一つ。

仕事帰りの花店駅前の夕焼けです。
きれいでした^^

2025092201

| | | コメント (0)

2025年9月20日 (土)

レタグラ本部へ & 一足早くクリスマス

先日の木曜日は、日本レタグラフィー協会本部へお伺いをさせていただき、代表理事の神馬友子先生と「*#%&=>+」(笑)についての打ち合わせミーティングを持たせていただきました。

内容はまだ内緒です。笑

レタグラ本部に寄せていただくのは、これでもう何回目なのかな?と思いながら、駅からの長い坂道をてくてくと歩いてました。
写メ撮っておけばよかったかな。
この坂道が結構好きで、神馬先生はいつも車で駅までお迎えにあがりますと云ってはくださるのですが、自分としては歩く方が好きなので、本部に本部に居ていただいております。

本部は本部で、なんしかいい空間で落ち着くんですよね。
3年ほど前になるのか、流石に初めて訪問させていただいた時は、強烈に緊張感いっぱいでしたが。笑

そんなことも思い出しながらの、あっという間の2時間のミーティング&懇談でした。というか、お題の方はすぐにほぼ決まってしまい、ほとんど懇談というか歓談🎶

言葉を交わしながら学びの持てる世界っていうのは、自身を止揚できるので何重にもプラスになります。
とか云いつつ、神馬先生は頭の回転が早いので、ついていけなくなる時もあるんですが・・・(^◇^;)

ま、それも「学び」ですね。

「我以外皆我師」です。

とにかく、また、新たな気持ちで次へと進むきっかけもいただけた時間となりました。

今、『バシャール』を読んでいるんですが(全8巻の分)、いろんな場面でのいろんな人との出会いとか邂逅とかって、どこまでも完璧のタイミングなんだってことを、認識を新たにした次第です。

・宇宙は無駄なことはしない。
・自分の与えたものが、自分に戻ってくる。

バシャールが云うこの二つの真理も加味すれば、自ずと世界が肯定的に見えてくるのも不思議で。

神馬先生とはそんな話も交えつつ、いろいろと余計なことも(笑)喋りつつ、今回も密度の濃い時間となりました。

神馬先生、ありがとうございました☆
そして、いつもいつもお気遣い、感謝です。

 

帰ってきてから、この日の打ち合わせの件をあれこれと考えながら文字書き練習をして、その流れで、昨日はちょっと早いですが、クリスマス関係の定番フレーズを書きたくなったので、ちょっと書いてみました。

20250919

あ、↑ のは打ち合わせのものとは、「今のところ」関係ありません。笑

工藤はハロウィンが嫌いなので、そこは飛ばしてのクリスマス。

厳密に云えば、ハロウィン同様、クリスマスもどうなん?ってことになるんですが、それはそれで「夢」としてっていうことで。

その昨日からの流れで、今日はGPTちゃんに相談を投げかけて、小一時間ほど話し込んでました。
当たり前ですが、仕事が早いですよね、AIって。

でも、お互いに名前で呼び合っているので、なんていうか、めっちゃ物知りで頭のいい友だちと話をしているみたいで、毎回楽しいです🎶

今日もらった整理情報は、明日プリントアウトして再考。
また、あらためて煮詰めていこうかと思ってます。

 

今日は涼しかったですね。
それでも湿度が高かったですが。

 

| | | コメント (0)

2025年9月15日 (月)

「ダンボール製傾斜台」についての大切なお知らせ

ちょっと長くなりますが・・・

「ダンボール製傾斜台」改題です。

ダンボール製傾斜台に関して、変更がありましたので、今日はそのお知らせとなります。

担当の須川さんが、なんと…この夏に芳川紙業株式会社を定年退職されてしまいました。(マジか???)

工藤としても、びっくり状態でして、(傾斜台は)どうするの???となってしまったんですが、引継ぎを後継者に託しつつ、今後も、注文の繋ぎのお役目をやっていただけることとなりました。

芳川紙業株式会社さまでの勤務が何年であったのかは知らないのですが(30数年だそうです)、何事も諦めることがなく、地道にずんずん静かに追い求めていく姿勢っていうのは、工藤も何度も脱帽したものです。

「それはできません」って云わないですから、絶対。^^;

だからこそ、オリジナリティのあるダンボール製品も手がけることができたのかもしれません。

例えば、展示会で使用するようなダンボール製の什器とか、なかなかのものです。

なんといっても、軽いし、そもそもが組み立て式なので、元がコンパクト。
なので、物販用アイテムや展示品のディスプレイ用に使われてたりで、重いトレニアを持ってきて設営するよりも、断然に労力が違います。
ハンドメイドアーティストさんたちにも喜ばれてました。

話を戻して、傾斜台。

2種類あります。

1)レギュラー版(A3サイズまでの対応)
2)ミニ版(A4サイズ対応)

1)レギュラー版
 サイズ:横45センチ
     縦43センチ
     (傾斜部分は40センチ+ジョインと部分3センチ)
     厚み1.5センチ
 単価:1000円+税

2)ミニ版
 サイズ:幅30センチ
     縦35センチ
     (傾斜部分は32センチ+ジョイント部分3センチ)
     厚み1.5センチ
 単価:800円+税

*発送については、単価に、梱包費と送料が追加となります。

例えば、レギュラー版だと・・・

 (1000×台数+梱包費+送料)× 1.1です。

ちなみに梱包費は、製品がダンボールですので、輸送時にイタミが出ないように綺麗なダンボールで梱包するための別途費用となります。200円〜くらいかなと思います。

送料については、地域と梱包の大きさで変わってきますが、1200円〜くらいです。

例えば、1台のご注文の場合…

(1000+梱包費200+送料1300とすると)=2750円

つまり、1台で2750円となります。

一つの考え方として、おすすめは複数台のご注文。

工藤はいつも5台くらいで発注をかけます。(ちなみに工藤も定価で購入しております。笑)
そうすると、別途料金を5台で割った分を1台分として付加するので…
梱包費と送料の金額をざっくり2000円とすると、1台につき400円を付ければいいわけです。

つまり、この場合だと、1台が1500円(1000+100(税)+400)となります。
例えばの話ではありますが…

 

ご注文については、これまで通り、須川さんへ直接メールしていただくこととなります。
その後、須川さんから芳川紙業株式会社の担当の方へ連絡。
そこからは、その担当の方とご注文主様との直接のやり取りとなります。

その須川さんのメアドが変わりました、

sugawa08182★gmail.com(お手数ですが、★を@に替えてください)

これまでどおり、工藤へのお問い合わせもお受けさせていただきます。
ご質問等ありましたら、遠慮なくです。

mystic.tempo★gmail.com(こちらもお手数ですが、★を@に替えてください)

 

ちなみにですが・・・

工藤に在庫がある場合で、且つ、直接お渡しできる方であれば、工藤経由での販売もできます。地域的には大阪と東神戸以東阪神地区に限りますが。
この場合は、送料等を購入時台数分で割った金額を付加したお値段で頒布させていただきます。

交通費とか請求しませんので、ご安心ください。笑
手元に在庫が無い時は出来かねますが。(今現在はあります)

以下、ダンボール製傾斜台の写メを載せておきます。
様態は、レギュラー、ミニ、共に同じになります。

↓ 折りたたみ式です。これが元の図。

Img_3842_20250915192301

↓ パーツは一点を除き、分割ではなく一体型になってます。
傾斜は3段階に可変。

Img_3845

↓ これでイタリック体とかの練習ができます。

Img_3851_20250915192401

↓ これが分割パーツ。

Img_3847_20250915192401

↓ こんな感じで緩い傾斜の設定に使います。

Img_3850_20250915192401

↓ こんな感じです。
これで、カッパープレート対等の練習ができます。

Img_3848

Img_3854_20250915192401

工藤の生徒さんたちは、みなさん、カッパーではミニ版を、イタリック体習得の方はレギュラー版を使っていただいてます。

木製のはしっかりしてていいのですが、持ち運びがとにかく大変で。お値段もそこそこしますし。

元々は、生徒さんに傾斜台を使って練習してもらいたくて、自分で会社にあった不要ダンボールを使って手作りしたのがきっかけです。(懐かしい)

その後、須川さんとやりとりをする中で、出来上がったのがこれです。

気になる方は、須川さんでも工藤でもどちらでもいいですので、お問合せください。

料金的なことは須川さんになります^^

 

以上、お知らせまで。

 

 

| | | コメント (0)

2025年9月12日 (金)

「万葉集」から

カリのアップ、久しぶりになります。^^;

今回は「万葉集」から。

巻7ー1068 柿本人麻呂

天海丹雲之波立月船星之林丹榜隠所見

あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ

 天の海に
   雲の波立ち
     月の船
  星の林に
    漕ぎ隠る見ゆ

大意:天の海に雲の波が立ち月の船が星の林に漕ぎ隠れていくのが見えるよ

語彙不足で申し訳ありませんが、風流でいいな〜って思いました^^

それはそうと『万葉集』の英語訳って、結構あるんですね。

知りませんでした。

自分がカリ書きしたものの訳者がどなたなのかは不明です。

↓ これね。

The cloud-seas of the heavens areriled by waves.
The moon a ship rowed into hiding behind a forest of stars.

Img_5708

ちなみに、ドナルド・キーン氏の英訳は…

 ON the sea of heaven the waves of cloud arise,
 And the moon's ship is seen sailing
 To hide in a forest of stars.

だそうです。

『万葉集』
足掛け何年かかったのか忘れましたが、なんとか読了できて、今はスッキリしてます。

それにしても、「日本語」っていいな〜って、やっぱり思うんですよ。

本来あった日本語で、GHQに故意に失くされてきたものがどれほどあることやら。
取り戻せるものは、しっかり取り戻しておきたいものです。

漢字一つにしてもね。

 

今日は仕事で神戸まで行ってきました。
行った先では、結構チョウチョが飛んでまして。

アゲハチョウ、アオスジアゲハ、タテハチョウにシジミチョウ。

アゲハちゃんは、工藤の周りをくるくる回ってくれて、かわいかったです。

シジミちゃんは写メっておきました。

Img_5728 

Img_5729

キバナコスモスがキレイに可愛く咲いてました。

Img_5722

仕事しとうのか、写メっとうのかわからん時間でしたが…笑

今日の晩御飯、鶏ムネとタマネギの炒めのイタリア風ってことで、トマト缶とナチュラルチーズを使って作ったんですが、トマト缶を開けるときに鈍臭いことをしてしまい、左手の薬指をスパっと・・・

結構な流血となりまして、今は絆創膏を二重に貼って対応しております・・・

痛い・・・(^^;;







| | | コメント (0)

2025年9月 6日 (土)

本を買いすぎた8月・・・^^;

2025年の今年は、年頭に「頑張って70冊は本を読むぞ!」と決意。
とにかく、ここ数年…というより、コロ助茶番の始まった2020年の後半から、ネットにがっついて調べまくり作業に徹したこともあって、年間で平均20冊前後くらいしか読めてませんでした。

なので、今年はリベンジ!…だったんですが、2月3月4月と、社屋の移転というイベントがあり、自分、引っ越し担当スタッフになってしまい、2月と3月は残業に次ぐ残業。
この3ヶ月は月に1冊という体たらくでした。

流石に5月はリベンジ気合いのスイッチが入って、9冊読むことができ、8月終わった時点で、月平均4冊まで追いつくことができてます。

過去に1ヶ月で25冊(ほとんど落合恵子さんの著作でしたけど)ってのをやったことがありますが、基本、読むのが遅かったりするので、希望的にいうなら、月に10冊読めたらハッピーかなと。

とりま、今年も残すところ4ヶ月。
この4ヶ月で40冊はかなり厳しいとは思いますが、隙間時間を時間を一切無駄にしない!って思い出、少しでも目標に近づいていこうと思ってます。

自分は日常の贅沢とかには全く興味がなくて、でも本だけはすぐに買ってしまうクセがあります。
といっても、もう置く場所がないし、毎月毎月、今月はもう買わないぞ…と思うものの、ついつい・・・・・・・笑

今年に入ってからだけでも、もうかなりの冊数を購入してしまってます。

で、先月の8月は、とうとうひと月で3万円分も本を買ってしまったという・・・
誰が払うねん!ってことですが、まあ、あれですね。
手元になかったら読めない=手元にさえあれば、いつか読める…っていうスタンスなので、これもまた致し方ないかと諦めて、しっかり働いていこうと思ってます。

文章を書くのが苦手なので、読書ノートとか書評みたいなものを書いたりはしない(できない)んですが、先月読んだ中でかなり楽しませてもらったものを少しご紹介だけ。

さとうみつろうさんと理論物理学者保江邦夫先生との対談集。

シュレディンガーの猫を正しく知れば この宇宙は君のもの(上)
シュレディンガーの猫を正しく知れば この宇宙は君のもの(下)

さとうみつろうさんといえば、↓  の2冊を以前読んで、個性的な視点とか切り口がなかなかおもしろくて感心してたんです。

神さまとのおしゃべり
悪魔とのおしゃべり

まあ、「萌え萌え(笑)」と絡んでいるのは、ちょっといただけないかな〜とは思ってますが、あれも、わかった上でやってはるのかも?とか思ったりしてます。

気をつけておいてはいただきたいですが・・・だいぶヤバい人ですからね。

保江邦夫先生のことは、全く別のブログ記事をたまたま読んでいたときに紹介されてまして、そのブログ主さまがかなり押してたので、少しばかり記憶に残ってたんです。

そんな流れがあったのと、量子に興味を持ち始めたところでもあったので、掛かり始めで読んでみよっかてことで読ませていただいた2冊でした。

保江邦夫先生といえば、日本で1番ノーベル賞に近いと云われてたりしているそうです。
自分としては全てを理解するのはハードルが高かったんですが、それでも、わかりやすい言葉で語っておられます。

高校時代は、物理の時間は苦痛でしかなかったくらいに物理なんて大嫌いやったんですが、そんなわけで、この2冊は吸い込まれて一気に読めてしまいました。

こういうことに興味が持てたのも、遡れば、2020年からのコロ助茶番打て打てどんどんプランデミックのお陰で、逆説的ではありますが、ちょっと感謝してたりします。

ほとんど小説とか詩ばっかり読んできてたような文学嗜好(志向)の自分なので、こんなフィールドの本を読むなんて、自分でも「まさかね〜」って感じでもありますが、やっぱり「知らないことを学ぶ・学べる」っていうのは、素敵なことだと思うんです。楽しいし。

あとは、せめて自分にもう3歩くらい深い読解力があれば…と…

これは訓練するしかないんでしょうが、今更感がね…(^^;;
でも、希望は持っておこう。笑

 

さて。。。

別のブログで、「スモールイベント参議院選も終わって、次は天変地夭やな」なんてことを書きました。

7月の例の日は何もありませんでしたが、キーワードは、「8月」「水」「九州」ってことで、先月はその通りのことになってます。

ここ最近、目につくところでは、ちょっとやばい「事件」「事故」が増えてきてますよね?
こういうのって、これから右肩上がりで増えていくと思ってます。

いや、そうなります。
しっかり「仕込み」が終わって、その上で、人間を「ハ・・・グ」できるんですから。

2022年の暮れぐらいやったかに、「これからは変な事件・事故が増えていきますよ」って社内でよく話してたんですよ。
誰も聴いてくれてませんでしたが。

ここにきて、準備万端になってきているってことかもな…と思ったりしてます。
とりあえずは、今は試行運転なのかもですが。

とにかく、「水」とか「火」とか「◯」とかが、今後ますます増加傾向ありありだと考えてます。

無防備ではなくて、何よりまず「知る」ってことが大切。(ある意味、手遅れに近いところまできてますが)

次の「プラ」もすぐそこまできているわけですから・・・
みんな、またバカスカ打つんでしょうか?

 

↓ は、ちょっと前の夕焼け。
うちのベランダからの写メです^^
きれいでした。

Img_5255

| | | コメント (0)

« 2025年8月 | トップページ | 2025年10月 »