夕焼け一景
今年はハロがよく見られたり、夕焼けがキレイな日が多かったりしているような気がしてます。
気のせいなのか、それとも実際そうなのか…
どうなんでしょ^^;
それはそれとして、一昨日は、「夕焼け」がキレイでした。
いつも、どうしても「空」が気になるというのか、なんしか瞬間瞬間変わっていく「空」の表情が好きなので、写メる「機」を伺いながら、上ばっかり見上げて歩いているようなものです。
で、その一昨日の夕焼け。
相変わらずの部屋のベランダからの光景です。
13枚撮ったうちの5枚。
それぞれの間合いは、だいたいで1〜2分くらいなもの。
たったそれだけの時間で、自然というのはものすごい仕事をしてしまうんですね。
人智では当然出来っこありません。
で、ふと思ったんですが…
瞬時にそんな大仕事をやってのける自然に対して、誰一人、嫉妬にかられるなんてない。
そう思えば、嫉妬って、なんとくだらんことなんだろって思ってしまいます。
人間誰しも感情というものがあるので、羨ましいと思うこともあるし、悔しい、妬ましいって気持ちになることもある。
それって、人間の人間たる証の一つなんだと思うし。
問題は、「そこ」からどのベクトルに自分を進めていくのかってことかなって考えます。
随分前に、このココログで、「嫉妬」に絡めて乱文を書いたことがあります。
その時から、自分の思いに変わりはないなって、あらためて確認。
「嫉妬」といえば、いつも思い出すのが、戦前の哲学者で、戦後、獄中で亡くなった哲学者に三木清という人のこと。
彼に『人生論ノート』という一書があって、その中に「嫉妬について」っていう秀逸な一文があるんです。
もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。
この冒頭の一文から始まる文庫本でたった5ページの文章が、「嫉妬」の本質を抉り出してて興味深い。
自分も、何度も読み返してきました。
嫉妬は平生は「考え」ない人間にも「考え」させる。
嫉妬は自分より高い地位にある者、自分よりも幸福な状態にある者に対して起る。だがその差異が絶対的でなく、自分も彼のようになり得ると考えられることが必要である。全く異質的でなく、共通なものがなければならぬ。しかも嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。嫉妬がより高いものを目差しているように見えるのは表面上のことである。それは本質的には平均的なものに向かっているのである。
嫉妬は心奥深く燃えるのがつねであるにも拘らず、何等内面性を持たぬ。
嫉妬はつねに多忙である。
せっかく思い出したので、『人生論ノート』、また読んでみようと思います。
| 固定リンク | 0
コメント
本当に燃えるような空ですね!。
今も昔も嫉妬、ねたみやっかみそねみは人間関係がややっこしくて難しい問題ですね!^^)。
投稿: てらけん | 2021年6月14日 (月) 17時34分
てらけんさん^^
コメント、ありがとうございます。
人間には感情というものがあるので、それが時にめんどくさいことになりますよね。
でも、周りがどうであれ、自分自身が淡々としてればイイのではないかなって、思ってます^^
人間て、生きてきたようにしか死んでいけないものなんですよ。
これは、仕事を通して学びました☆
投稿: mysticaw | 2021年6月14日 (月) 18時38分