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2019年3月25日 (月)

ウィークリーカリグラフィー 20

ブログろうと思ってログインしたら、「ページが見つかりません」表示が出てびっくりしました…

別の場所から「ログイン」したら、入れるには入れたんですが、仕様が完全に変わってしまってて、只今…「使いづらいなあ、これ…」最中です。
そういえば、メンテしてあれこれどうこうって内容のメールが届いてたような気がします(^_^;)
ま、いいや。。。

やっと20回目に到達です。

20190324

Without dialogue, we will have to walk in the darkness of self-righteousness.

「対話が無ければ、人間は独善という暗闇の中を歩み続けなければならない」

イラン出身の平和学者マジッド・テヘラニアン氏の言葉です。

「平和学」… 随分前に、後輩の一人が学びたいなぁと云ってたことを思い出しました。
今、どうしているのかな。

「平和学」といえば、ノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士が有名です。
日本にも何度も来られてて、各地の大学で教鞭も取られてました。
同じく、ノルウェー出身でアメリカ在住であった、故エリーセ・ボールディング博士、それから、ハワイ大学のグレン・ペイジ博士あたりが知られています。

「平和学」…
自分も過去に、少しだけかじったことがあるので、大雑把には理解しています。

ガルトゥング博士は、「構造的暴力」っていう概念を生み出した方。
「構造的暴力」っていうのは、貧困、抑圧、差別等々がそれに当たります。
「いじめ」とか「パワハラ」等の「ハラスメント」も、云ってみれば、「構造的暴力」の範疇。
それが無い世界が、「積極的平和」なんだという考え方です。
戦争がないっていう状況は、「消極的平和」と呼ばれています。

そう考えれば、日本なんて、「積極的平和」には程遠いのではないかな。

そして、それを乗り越えるのが「対話」のもつ力。
「会話」ではないんですね。
「対話」です。

「対話」があるところ、どれだけの差異があっても、少しずつでも微々たるものでも、向かい合う双方の間に「止揚」されていくものが必ず生まれる。

「差異」があるから、「異質」だから、という理由で、簡単に人間を切り捨てたり、追い出したり、追い落としたり。
そこから生まれる世界って、「同質」に絡む「縦社会」でしかない。

そうではなくて、「違い」があるからこその、その「違う」価値の共有・理解から、新しい「何か」が生まれ、広がっていく。

そんな世界であってほしいです。

ちなみに、テヘラニアン氏も何回も訪日されているようです。

 

先日、神戸へ行ってきました。
生憎の曇り空で、インスタ映えはしませんが(笑)、写メ撮りもしてきたので、近いうちにアップしようと思っています。

インフルB型が流行ってきているようです。
くれぐれもお気をつけくださいね^^

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