生きていることと、死んでいることと。。。
心の混沌の中でのものなので、言葉足らず多々あります。
ご容赦を…
映画「おくりびと」で云うところの「旅立ちのお手伝い」を仕事として、かれこれ2500人近くの人たちの送り出しに関わらせていただいてきました。
そんなこれまでの年月の流れの中で、そして、この仕事の真っただ中で、いつも、影の身に沿う如く離れない言葉があります。
それは、芥川賞作家・宮本輝先生の『錦繍』の中にあるもの。
「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。」
仏法用語を使うなら、それは端的に『生死不二』という表現をされます。
でも、そう云われても、言葉の上で理解はできるものの、実感となると…
ただ、長い間、この仕事に携わっていて感じたことがあるんです。
(あくまで、個人的に感じたこと・感じていることではありますが)
それは…「人間は、生きてきたように死んでいく」っていうこと。
つまりは、「人間は、生きてきたようにしか死んでいけない」ってことでもある。
それが、『錦繍』の中にある、主人公が語ったこの言葉にも、一脈通じるものがあるのではないかなって思うのです。
生老病死は、どう足掻いても避けることのできないものです。
でも…生きている者は、「老い」を、「病」を、「死」を忌み嫌い、遠ざけようとする。
そこにあるのは、イメージとしての「マイナス」であって、「プラス」ではないことが多い。
「老い」に向き合うこと、「病」を凝視すること、「死」から目を背けないこと。
それが出来る人は、往々にして「生」を大切に、日々を大切に、自身に関わる人たちを大切にしているように感じます。
逆に…特に、「死」や「死」に通じる事どもを厭う人たちや、忌み嫌う人たちに共通しているのは、「死」への恐怖なのではないのかなって。
ここでも、「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。」との言葉が生きてくると思うのです。
前置きが長くなりました。
先日、仕事から戻るなり、一本の電話がありました。
哀しい哀しい報告で、言葉を継ぐこともできませんでした。
すぐにその場へ飛んでいくことのできない自身の中に湧きだしたものは、流れる涙と後悔だけでした。
今更、何かできるわけでもない…
逝いた弟のためにできるのは、彼の分まで生きていくという決意とそれを為しゆくことだけでしかありません。
それが、自分の中での「生」と「死」を「不二」にすることだと信じたい。
連絡のあったその日は、仕事で神戸へ出向いていました。
たくさんの花や木々たちと遭遇。
命のすばらしさを思うとともに、その命に傷をつけることの愚と哀しさを思いました。
落ち着いたら、彼の弔いのために、横浜へ行ってこようと思います。
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