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2013年1月13日 (日)

凹躓哀 ~ 凸起歓。。。

この1週間、密密に詰められて、躓いて、のたうち回って、哀しんで…の日々でした。
ひどい風邪にやられて寝込んだのが7日と8日、そして昨日。
7日は特に、仕事現場からの帰り道、ボーっとした頭であったせいもあり、電車の乗り間違いをして終点まで行ってしまったという体たらく。(終点といっても、乗ったところから30分以内のところやったので救われてますが(^^ゞ)
8日は仕事が休みでよかったです。

そして、明けて9日。
元旦のブログにも書いていた、以前、仕事でとてもお世話になっていた、とあるおばあちゃん(以下、みっちゃん)が亡くなったという知らせが。
ほんとにとても哀しかったです。
引退して10年くらいにはなりますが、それでも70まで頑張って働いておられました。
仕事で、みっちゃんの家のすぐ近所に行った際は、いつも「来たで~^^」って電話を入れたものです。
その度に、ゆっくりゆっくり歩いて、ニコニコしながら、パンやらジュースやらの差し入れを持ってきてくれたことは、忘れられない思い出です。

風邪、えらかったのですが、とにかくお通夜に駆けつけました。
遺影写真が、生前のみっちゃんそのまんま。
おまけにVサインまでしてて、見るたびに涙がこみ上げてきます。
お顔を見ると、何とも言えない素敵な笑顔でした。
弔問に来られた誰もが、みっちゃんの人となりを懐かしがり、逝いたことを心から哀しみ・・・
どんな時も、怒るということがなかった人でした。
いつも、かわいい笑顔でニコニコしてて、小さな体でコマメによく働いてました。

そういう方だったので、誰ひとり、みっちゃんのことを悪く云う人はいてません。

ものすごくおっとりした話し方も忘れられないです。

「ゆうちゃん、ちょっと聞いて聞いて^^」
「あのね、わたしね、大変だったのよ~^^」
「わたしね、どうしてあの人に怒られるのかわからないのよ^^; どうしてなのかな?」

いろんなことが思い出されて、今も目が潤んでいます。

通夜の帰り際、2回ほど吹田の駅近辺で、母娘で歩いている時にお会いしたこともある喪主である長女さんにご挨拶。

名前を名乗ると、すぐにわかってくださいました。

12月に入って、母娘2人で年賀状を書いていた際、みっちゃんは、「みんなに会いたいね」「寂しい、寂しい」と云いながら、一枚一枚に一筆を入れておられたそうです。
自分への年賀状の時は、とてもうれしそうな顔をして書かれていて、それがとても印象に残っているとのお話もしてくださいました。

「腰痛で リハビリ 頑張っています」

自分にとっては、これがおばあちゃんの絶筆になりました。

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翌日は、いろんな方の配慮もあり、葬儀告別式に行くことができました。
通夜の際に、「多分、明日の葬儀には来れないと思います」と伝えてあったので、「母も喜びます」と、娘さんたち(長女さん、次女さん)。
最後はお棺に手を添えさせていただき、みっちゃんを式場から寝台車へ。
哀しい哀しいお別れです。

享年80歳。

みっちゃんの通夜の日は、ちょうど母の三回忌でもありました。
法要は今日、実家にて行っています。
自分は、体調芳しくなく欠席。これも辛いかな・・・

いろいろ有りきの1週間。
こんな自分ではありますが、あっちでもこっちでも、多くの方から励ましのメッセージをいただいてます。
心から感謝です。
幸せ者やなとも思います。

こけたり、躓いたり、凹んだり、哀しんだり・・・
でも、それがあるから、起きあがること、凸ること、歓ぶことも出来るのは生きている証でもあるし、人間であることの証明。
戴いた励ましのエネルギー、今日からの仕切り直しで、自分なりの形でお返ししていきたいです^^

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