今日の出来事。。。その二。。。
仕事で須磨へ行ってきた本日。
早出した甲斐あって、仕事も早目に切り上げることができました。
で、帰り道、担当の方にお願いし、母親が入院してる病院まで送っていただきました。
先月以来、いろいろあったことで、ほとんど見舞いにも行っていない親不孝者です…
こうやって、仕事に絡めてでないと行ってあげられない自分に、悔しい思いと情けない気持ちを持ちつつも、それでも、そんな沈んだ生命状態で病室に入ったら、すぐにでも感じられてしまうやろうと思って、とにかく元気な顔して見舞ってきました。
見舞うっていうても、母親はずっと薬で眠ったままで、起きることはありません。
なので、耳元で声をかけて、自分が元気であること、なかなか来れなくてごめんやでってこと、早く家に帰ろうなってこと等を話してきました。
手術からもう半年を超えました。
当人の母親が一番大変だと思います。
でも、病院までの長い坂道を上がっていく父親のことを思うと、それもまた辛いところ。
いつ行っても、漫才のようなしゃべくりをしてた両親なので、言葉に出さないまでも、父親も相当寂しいと思うのです。
併せて、ベッドに横たわる母親を見てると、もうこのまま起きることはないのでは?って、正直考えてしまうこともあります。
人間はいつかは死んでしまうっていう事実というか真理は、誰彼にかまうことなく、それぞれの境遇にも関知せず、恐ろしくも平等に訪れます。
こんな時に思い出すのが、宮本輝さんの「錦繍」の一節。
「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。そんな大きな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽が表現してるような気がしましたの」
「生きていること」と「死んでいること」が同じことかもしれない。
東洋の哲学では、それに近いことばに「生死不二」ってのがあります。
「不二」とは「而二不二」=「二にして二にあらず」ってこと。
ちょっと難しいのですが、同じであって同じでない…って云ってしまうと、本来の意味を崩してしまうかな…
とにかく、その言葉自体は知っているものの、生と死が同じっていうことが、まだまだよく理解できません。
まだまだ勉強ですね。
母親は、その材料を自ら示してもくれているのかもしれません。
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