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2009年8月 3日 (月)

徒然草「第150段」。。。

自分がよく覗きに行かせていただく、KEIKOさんのブログ「Letra Florida」にも書かれてましたが、徒然草「第150段」 をこの期において、再読なり。

これ、改めて、頭と心に留めておこうと思いました。
カリグラフィーの作品、結構、書いたものとかは、表に出さないほうなので(ていうか、出せないのですよね~ しょぼいのが多くて・・・・・・・・・(/_<。)ビェェン)

が、そうではなくて、それでは、前に進めないことのほうが多いのやって、もう一度、この機会に胸に刻んでおこうと。

能をつかむとする人、「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも
恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性その骨(こつ)なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜(たしな)まざるよりは、終(つひ)に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。
 天下のものの上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟(おきて)正しく、これを重くして放埓(ほうらつ)せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道かはるべからず。

現代語訳

芸能を身につけようとする人は、「よくできないような時期には、なまじっか人に知られまい。内々で、よく習得してから、人前に出て行くようなのこそ、まことに奥ゆかしいことだろう」と、いつも言うようであるが、このように言う人は、一芸も習得することができない。まだまったくの未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽古に励む人は、生まれついてその天分がなくても、稽古の道にとどこおらず、勝手気ままにしないで、年月を過ごせば、芸は達者であっても芸道に励まない人よりは、最期には上手といわれる芸位に達して、人望も十分にそなわり、人に認められて、比類のない名声を得ることである。
 世に第一流といわれる一芸の達人といっても、初めは下手だという噂もあり、ひどい欠点もあったものである。けれども、その人が、芸道の規律を正しく守り、これを重視して、気ままにふるまうことがなければ、一世の模範となり、万人の師匠となることは、どの道でも、かわりのあるはずがない。

趣意

うまくできるようになってから、人前に出て仕事をしようと思うのは間違い。失敗したら恥ずかしいとか、間違えたら安く見られるとか考えて、それが礼儀だとか、おくゆかしいなんて自分に言い聞かせてる人は、つまりは見栄っ張りで、勇気がないから、せっかく才があってもそれが育たない。

さっきの「V」サインの日記ではないですが、やっぱり一番の敵は「自分」なのですよ。

「負けない」気持ちいっぱいの「自分」でありたいと思います^^v

「何のため」を忘れずに。。。

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コメント

 なんにつけても、いえることなのでしょうね・・・。
 頭で考えているだけでは何にもならないですね。手を、体を動かしているうちになんとかなるものなのだなぁ、と思います。
 じたばたしましょう!

投稿: きなこ | 2009年8月11日 (火) 19時34分

きなこさま。。。

はい、ジタバタしています。
いつまでしてるかわかりませんが、とにかくジタバタです。
いろいろと…しかもこんなところでも、激励ありがとうございます。

ぐちゃぐちゃのカッパーを、ここで披露できるようになれば、この第150段も身読できたってことになるのでしょうけど・・・

投稿: mysticlaw | 2009年8月12日 (水) 19時53分

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